2011年1月30日(日) – 雪の中、ぼくら田舎を駆け巡っているバックパッカー夫婦は、長崎原爆資料館に到着した。(前回のお話しはこちら)
● 長崎原爆資料館
・住所: 〒852-8117 長崎市平野町7番8号
・電話: 095-844-1231
・観覧料: 大人200円
・普通車駐車料金: 100円(最初の1時間、その後30分毎で100円)
資料館では、ボランティアガイド「平和案内人」の浦川卓(うらかわ すぐる)さん(70歳)にガイドをお願いした。
資料館で6年間、ガイドをしている浦川さんは、中国の戦地から引き上げてきた“引揚者(ひきあげしゃ)”と自身を呼ぶ。中国から帰国(長崎に)4ヶ月後、“引揚者”の住居が城山小学校近くに建てられ、浦川さんはそこに10月に入居した。
城山小学校を1953年(昭和28年)に卒業。39年間、郵便局に勤務していた。現在、70歳(1941年(昭和16年)生まれ)。父親が中国に派遣されたため、浦川さんは中国で産まれた。原爆投下後、10月ごろに帰国していなければ、旧・ソ連にシベリアへと連行されていたと言う。
当時、長崎に子どもを連れて帰っても食べさせられないとのことで、中国に子どもたちを預けてきた人や放置してきた人たちが多くいた。その子どもたちは一般的に“引揚者孤児(中国残留孤児)”と呼ばれる。
10年前に、彼らの親捜しが多くあった。被爆者だけでなく、全国の“引揚者”も苦労したとのことだった。
現在、長崎の被爆者の4名が80歳を超えている。体力や体調のこともあり、浦川さんなどが、彼らの被爆体験の話を引き継いでいるそうだ。平和活動は生涯永久に続けなければいけない。
長崎原爆資料館では、浦川さん個人が経験したことも含め、多くの質問をさせてもらった。
「この資料館まで、どうやって来ましたか?」の浦川さんの質問から始まり、長崎の路面電車(長崎電気軌道株式会社、通称:長崎電鉄)の話しになった。
路面電車は、1915年(大正4年)につくられ、運賃が安くて有名だそうだ。路面列車は去年(2010年)まで100円だったが、現在、120円に値上げされた。
そんな路面電車も原爆でダメージを受けた。
長崎市の人口は現在、45万人。長崎の産業は、三菱造船所などの造船業がメイン。
また、観光でも産業が成り立っている。長崎県の所得順位は全国で44~45番目、下から3~4番目。
当時、中学生になると、学校動員で、造船所、兵器製作所などで仕事をしなければならなかった。
中学校では、勉強だけでなく、戦争のための竹槍を使った訓練も行っていた。
そんなこんなの話しをしながら、ぼくらは地下の展示資料スペースへと進んでいった。
この長崎原爆資料館は1996年(平成8年)にオープンした。長崎市平和会館で展示していた資料を全て、資料館に移動したそうだ。時系列に写真やモノが展示されている。
ちなみに、資料館に展示されている多くの写真は、福岡で兵隊だった山端庸介(やまはた ようすけ)さんが原爆投下翌日に撮影したもの。撮影写真は、120枚ほど。
長崎の原爆投下前の写真から始まり、2機の米軍戦闘機B29「ボックスカー」が、長崎上空に飛んできたとき、戦闘機内から長崎市に原爆を投下したときのビデオが展示されている。
これは2機のいずれかで撮影された映像。平成8年に、長崎市が米スタンフォード大学フーバー研究所からこのフィルムを購入。3分50秒のフィルムを、1分に編集した映像を流しているそうだ。
長崎に原爆を投下した日時は、1945年8月9日11:02AM。その時間で止まった、ぜんまい式の振り子時計から残酷な展示が始まる。
長崎市 長崎原爆資料館 ぼろぼろになったぜんまい振り子時計は11:02AM…原爆の時間を記憶して止まっている
原爆の製造は1941年から、アメリカで開始した。これが「マンハッタンプロジェクト」と呼ばれる国家計画だ。約4年間の開発期間中、日本の国家予算に匹敵する額で、3つの原爆をつくった。
1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で1つの原爆を実験。人類初めて核実験の成功を遂げた。そして、うち2つは、日本に投下することを決めていた。
当時、原爆投下候補地には日本の17都市が挙がったそうだ。
候補都市は、東京湾、川崎市(神奈川県)、横浜市(神奈川県)、名古屋市(愛知県)、大阪市(大阪府)、神戸市(兵庫県)、京都市(京都府)、広島市(広島県)、呉市(広島県)、八幡市(福岡県)、小倉市(福岡県)、福岡市(福岡県)、下関市(山口県)、山口市(山口県)、熊本市(熊本県)、長崎市(長崎県)、佐世保(長崎県)。
京都は日本の古都、歴史的建造物が多かったため、候補から外された。
そして、1945年8月2日、広島、小倉、長崎の3都市が最終候補に挙げられた。長崎には、三菱兵器製作所、製鋼所などが集中していたことから、候補地に選ばれたと言われている。
同年8月6日、広島に、第一弾目の原爆「リトルボーイ(Little Boy)」が落とされ、約14万人が命を落とした。
その3日後、最後の原爆投下には、当初、福岡県小倉市(こくらし)(現在北九州市)を予定していた。長崎 原爆投下当日の8月9日 1:50AM頃、B29は、北マリアナ諸島のサイパン島の南に位置するテニアン基地(現在はアメリカの自治領)を飛び立ち、小倉へと向かった。
しかし、アメリカは原爆投下前日の8月8日に、小倉の八幡製鉄所を空爆したばかり。
アメリカのパイロットは目視で爆弾を落とすことから、煙で小倉の町が視界不良となり、町が見えなかった。(天候の影響による“雲”で見えなかったと、よく言われているそうだが、前日の空爆による煙の影響という説もある)小倉の上空を3回も旋回したが、目的地が確認できなかった。
小倉に原爆を落とそうとしていたなんて…これも知らなかった。しかも、17都市も候補に挙がっていたは…これも知らなかったやむを得ず、投下場所が、第2目標の長崎に変更となったのだ。
上空に到着した時、長崎は雲に覆われていて、戦闘機の燃料も減っていた。この状況により、目視ではなく、レーダー機による、投下準備に入り、雲の隙間から地上が見えた一瞬の間に、原爆が投下されたと言われている。
長崎に落とされた原爆は、高さ3.5m・直径1.5m・重さ4.5tの“ファットマン(ふとっちょ)”。
中に入っているプルトニウムの重さは8kgで、科学者によると実際燃えたのは1kgと言われている。広島はウラン(ウラニウム)。これらは言うまでもないが、放射性物質。
プルトニウムを囲む鉄の輪っぱ「タンパー」の中に爆薬が仕込んであり、爆薬が点火されることにより、タンパーが押され/圧縮され、プルトニウムが化学分裂反応を起こして爆発が繰り返される。内部で爆発が繰り返され、臨界状態(原子核分裂(原子が不安定の状態)が継続している状態)に達すると“核爆発”となる。
【長崎市 原爆資料館 長崎市に投下された“ファットマン(ふとっちょ)”】
【長崎市 原爆資料館 長崎市に投下された“ファットマン(ふとっちょ)”】
核爆弾のエネルギーは、爆風が50%、熱線(いわゆる核反応によって起きた熱)が35%、残り15%が放射線(いわゆる(広く言えば)高エネルギーの電磁波、粒子線のこと)。
この核爆弾/エネルギーからの被害は…
当時の長崎市の人口は24万人。長崎での死者は73,884人、負傷者は74,909人。爆心地から約2.3キロ範囲内の11,500軒の家が燃え、6,800軒が崩壊されたと言われる。爆心地周辺1キロ以内には、学校が集中していて、学生74,000人のうち約10,000人の学生が亡くなった。
これら人数は、1945年12月末までの大凡の数字。放射能による被害者を含めれば、長年に及ぶため、もっと多くなる。
長崎は、山に囲まれたエリアだったため、想定よりも比較的被害が少なかったと言われているそうだ。
資料館内には、原爆の熱線と爆風で曲げられた「火の見櫓(ひのみやぐら)」も展示されている。ちなみにこの「火の見櫓」とは、家事を早期発見するために設けた高い櫓。昔この櫓から、鐘を叩いて、住民への避難喚起を行っていた。
人々、動物、建物、モノなどは、原爆の3,000~4,000度の熱線を浴びて消えていった。
投下中心地から周囲2.3キロの鉄以外のものは、爆風と熱線により、全て燃えたか、飛ばされた。火葬場の温度は、おそらく約2,000度、通常約1時間30分で白骨状態になる。原爆では一瞬の1/100秒で白骨状態になった。
骨は残り灰にはならず…それでも骨だけは残る…人間の骨の強さにも驚いた。瓦(かわら)は燃えずに欠けたのみ。ある意味…日本の瓦はかなり強くできている、とも思った。
鉄は1,582度で水あめ状態になり溶ける。ビール瓶も溶けた。ガラスは、900度~1,200度で溶けるそうだ。ちなみに、太陽の温度は6,000度と言われている。
また、爆心地3キロ先にあった建物が、原爆投下の1時間30分後に燃え始めた。建物にあった、木材などの可燃物に熱線が浸透して、翌朝まで、建物などが燃えていたそうだ。原爆だけでなく、2次災害で死んでいく人たちも多かったようだ。
突然ここで…「そういえば、福山雅治は確か、長崎の高校を卒業しましたねぇ」などの話しになり、福山雅治は長崎工業高等学校を卒業したことや、福山雅治のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は視聴率全国約17.4%、長崎県で24.8%だった…などの話しにもなった。(続きはこちら)
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