2011年1月30日(日) – ぼくら田舎バックパッカーは今日、長崎原爆資料館から、長崎県北部の大瀬戸へバスで移動した。
田舎旅はローカル線での移動が多い。(前回のお話しはこちら)
「NTT大瀬戸」のバス停で降りて、付近を一通り歩き、テントを張る場所を探したが、中々、公園や広場などが見つからない。
再び、ぼくらが大瀬戸のバス停へと戻ってくると…ようやく人を見かけたので、話しかけようとすると、逆に向こうから、「あっ、こんばんは。旅ですか?」と話しかけられた。
「こんばんは。そうなんです。この辺で屋根があって、テントを張れそうな場所ありませんか?」と聞いてみる。
こんな夜…暗い中、“どんな質問”だろうか。まぁ、重いバックパックを背負っているから、こんな会話もありだなぁ。というか、これが“ぼくらの普通”の会話になりつつある今日この頃である。
「ん~。あまり思い浮かびませんね…」と返答される。
ぼくらが向かおうとしている行き先はこの人と同じ方向なので、歩きながら、考えてもらった。
彼の名前は岡﨑一生(おかざき いっせい)さん。一生さんは現在、大阪に住んでいる。
一生さんは一周忌で、大阪から地元の大瀬戸に戻ってきていた。家業を継いだ弟さんが、現在もここに住んでいるので、一生さんはそこに泊まっているそうだ。
一生さんは弟さんに、ぼくら旅人と出会ったことなどを話し、「このあたりにどこかテントが張れそうな場所ないかね」と、わざわざ電話で聞いてくれた。
すると、「狭くても良かったら、家に来ませんか?」と誘ってくれた。
声には出さず…「えー!まだ出会って数分しか経っていないのに、ぼくら“オモシロ怪しそうな”二人組を泊めてくれていいのー!!」と、思いつつも、大変ありがたく温かい言葉だった。
しかし、夜遅くに申し訳ないという気持ちもありがながら、それにこの岡崎さん兄弟をぼくらはあまり知らない。
まぁ、それはお互い様であるが…
まだ出会って5~10分程度…みんなでテントの張る場所に関する会話しかしていない…出会ったのは夜遅いし…
夜どでかいバックパックを背負ったアラサー夫婦の二人組に思われるのも失礼だとは思うが…「大丈夫かな…」という、“一応…夜遅くに出会った知らない人だ”的な“怪しい”想いが頭に浮かんだ。
どでかいバックパックを持った2人組の怪しそうなぼくら夫婦がこんなことを思うのは失礼だし、「おまえら、バックパッカー夫婦の方が、どう見ても怪しいだろうー!」と思う人が大半だと思うが。
「これが田舎の温かさ!優しさだ!」と思い…
「よし、行ってみよう」と思いながら、とりあえず、岡﨑さんの後をつけた。しかし、やはりこんな夜遅くにいきなりすぎて申し訳ない。
岡﨑さんの家へと向かう途中に、「こんな夜遅くに、本当に、ご家族に迷惑にならないですかね?」と聞くと、「弟と弟の娘二人しかいないから大丈夫ですよ。ただ狭いですから我慢してくださいね」と言われ、お子さんがいることを聞いて、正直少し安心した。
それにしても、なんという優しさだろうか…
岡﨑さん宅に着いた。弟さんの名前は、岡﨑好昭(おかざき よしあき)さん(岡﨑製パン所(オカザキセイパンジョ)。
着いたら、早速、お寿司とお酒をすすめてくれた。一周忌だったので、その残りの食事が余っていた。いきなり押しかけて、ご馳走までいただき、ぼくらにとっては大変ありがたい!
しかも、お寿司の後は…
好昭さんは、ぼくらに岡﨑さん特製チャーハンとハンバーガーを作ってくれた。
両方とも、とんでもなく美味しくて、毎日食べたくなる…病みつきになる味なのだ。“ハマる”味の料理を好昭さんは知っている。
チャーハンのしつこくない塩加減、豚肉の味付けなど、オレゴン大学在籍時によく行っていた学生向けの中華料理屋さん「Maple Garden」と似た味付けだった。
作り方はシンプル。豚バラを塩、胡椒で炒め、サラダ油、たまご、オイスターソースを入れる。そして、ご飯を入れて炒めるだけ。ちなみに“温かい”ご飯を混ぜた方が、味がでるそうだ。
ハンバーガーのお肉は、なんと、ハンバーガー用の肉を独自に煉って、保管しているのだ!
本当に全て美味しかったので、「ハンバーガーも売ればいいじゃないですか?」と聞いてみるが、サンドイッチは“生”野菜を挟んでいるため、取り扱うには許可がいるそうだ。新たな食材などを取り扱うと、いろいろ手間がかかる手続きが発生するそうだ。
とにかく…この岡崎好昭さんだが、ただのパン屋さんではない。
パン屋さんを越える料理人である。好昭さんの趣味は料理。“食堂をやるべき味”だった。
陳情ロース、鯛(タイ)茶漬けなどが、娘さんたちには好評のようだ。お茶漬けの鯛は、養殖のほうが美味しいと言う。
まず、ぼくらには、鯛をお茶漬けにする発想がない。鯛と言えば…愛媛県 日振島(ひぶりじま)での鯛や縞鯵の養殖を思い出すが、あの鯛をお茶漬けにすると思うと、まだ想像がつかない。
これまで、このハンバーガーは身内と従業員しか食べたことがない。外部の人ではぼくらが初めて!?
好昭さんの岡﨑製パンでは主に、コッペパンなどの給食用のパンを作っている。もう50年も続いているベテラン パン屋さんだ。5ヶ所の給食センターに、ほぼ毎日2,000人の生徒分のパンを4~5人で作っている。
作っているパンは、チョコロール、アンパン、ピザパン、メロンパンなどなど。
道の駅「ふれあい市場」にもパンを出荷しているそうだ。チョコロールは100円で販売され、パンの原価など全く知らなかったが、例えばチョコロールの場合、原価は約50円だそうだ。
毎朝4:30ごろに起床して、仕込みを開始する。8:00~8:45ごろが忙しいそうだ。
以前、ステーキ専門レストランで有名な銀座のスエヒロで5年間、働いていた。ここで、好昭さんは、ケーキも作っていたそうだ。
その後、フランス語を勉強して、フランスに3ヶ月、料理を勉強しに行った。フランス料理の知識なども学んだ。「“熱いものの中”に具材を入れることによって、“生臭さ”をとることができる」などとぼくらに基礎的なことを少し教えてくれた。
話は食に関する内容が多かったが、お酒の話になった。いろいろと話しは飛ぶ。「お酒を飲むときは、糖分を摂取すると良い」という話だ。
糖分は、アルコールを分解する働きがあるとのこと。特に餡子(あんこ)は、食物繊維が多く、不要な水分やアルコールを“緩和”する。糖分をとることで、肝臓にアルコールを処理するエネルギーが補給されるそうだ。
お兄さんの一生さんが、好昭さんが腰のために飲んでいる薬容器に書いてある説明書きを見始め、次は新薬の話となった。
一生さんは、薬剤師。現在、大阪に住んでいる。
新薬は、試験期間中ということもあり、通常14日間分しか処方しないという。野菜などは、スローに食べると、血糖値が上がらないそうだ。
好昭さんは、長時間歩くことを避ける。いつ腰が悪くなるかわからないため、部屋で運動ができるように、筋肉トレーニングのローイングマシンで体を鍛えている。筋肉をつけることで、腰の痛みを和らげようとしている。
柔らかいものに寝ると痛いので、いつも布団も使ってないそうだ。頻繁に、近所にある針治療のマッサージにも通っているとのことだった。
そんなこんなで時間は過ぎ、もう寝る時間。ぼくらは翌朝、パン屋さんの見学をさせてもらうことになった。
岡﨑さんは、ぼくらに布団を貸してくれ、別の部屋で寝かせてくれた。
食器などを洗って、歯ブラシをして、「おやすみなさい」と部屋に入ろうとすると、「これを持って行きなさい」と、2リットルの黒霧島焼酎1本と高そうなブランドの焼酎をいただいた。
なんとも…旅人に優しい人なんだろうか。
しかし、ご馳走になって、しかも泊まらせてもらって、焼酎2本もいただくのは申し訳ないし、好昭さんも飲むだろうし悪いから断ろうとしたが、「いいから、いいから」と…
ありがたく焼酎をいただき、翌朝のパン工場の見学を楽しみにして寝るぼくらだった。(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 80.3 長崎県大瀬戸町 田舎バックパッカー夫婦、暗闇の中…“パン屋さん”との美味しい出会い』>
<翌日のストーリー 『day 81 長崎県 大瀬戸 “田舎バックパッカー”meets“岡崎製パン所” ~“パンの香り”をバックパックに詰めて…次に向かう先は…~』>
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