2011年1月25日(火) – ぼくら田舎バックパッカーは福岡県の離島“小呂島(おろのしま)”にいる。
現在、島の小中学校へ向かっている。(前回の話しはこちら)
小呂島の学校名は福岡市立 小呂小中学校(おろしょうちゅうがっこう)。小中併設校だ。
校舎の入口で二人の先生と出会った。英語の力武直子先生と理科の山口哲也先生だ。
力武先生と山口先生は車で、ストーブ用の給油に行くところだった。
ぼくら田舎バックパッカーが旅をしていること、学校を見学させてもらいたいなどとお話する。
【福岡県小呂島 – 小呂小中学校にて。(左から)理科の山口哲也先生、結花、英語の力武直子先生(翌日撮影)。残念ながら…校長先生とは写真を撮ってなかった】
力武先生は離島旅行好きで、これまで行ったところで一番良かったところは沖縄の離島 新城島(あらぐすくじま)(別名:パナリ島、パナリ)とのことで、宿泊先の連絡先や島の写真をいただいた。宿泊所の連絡先も教えてくれた。
ちなみに、この新城島だが、定期船はないそうなので、船をチャーターしなければいけない。
山口先生は、野鳥の写真撮影が趣味だそうだ。
小呂島について話しを聞いた
そして、校長室に行き、水木清太校長先生に学校見学や島について聞かせてもらった。
小呂島は、福岡県で一番小さい島。姪浜港から小呂島までの距離は、約40キロ。人口は、約180人の約40世帯。
小学校には9人、中学校には6人の生徒。小学1年生と5年生が一人もいない。
2010年4月、水木清太さんは小呂小中学校の校長先生に就任した。保育所には約5人の子ども。
周囲3.3キロと小さな島だが、生徒が多いほうだと思った。小呂島は、福岡市で、「僻地5級」に指定されている。
1級から5級までの5段階、5が最もへき地程度が大きい。小呂島は最も高レベルな離島かつ僻地であるということだ。
福岡市に入るその他の島々は、能古島、玄界島、小呂島の三つ。
島の後継者たち
島の子どもは、中学を卒業すると、親元を離れて九州本土の高校へ行き下宿する。
高校で大勢の人たちと上手く交流できるように、大きな島の学校との交流学習も実施している。
中学生は同県内山中学校へ、小学生は、脇山小学校に行き、交流する。農業体験などをして、他校の生徒と交流するそうだ。
また、小呂島は中国大陸に近いため、鳥の種類も多く、野鳥の保護や調査研究をとおして自然環境の保護もしている「野鳥の会」の人々が、野鳥の観察に来ることがあるそうだ。
この島でのメインとなる産業/仕事は“漁師”だ。
水産高校に入学する子どももいる。
そして、驚くことに、ほぼ100%と言っていいぐらい、多くの子どもたちが親の仕事の漁師を継ぐそうだ。島の子どもたちは昔から、漁師である親の仕事を身近で体感して育っている。
先生は、「親に強制されているわけではない」と話す。
漁師の後を継いで、ほとんどの子ども(長男)が戻ってくる島は大変珍しい。
ぼくらがこれまで行った島では、後継者問題に困っている島が多かった。
多くの農家や漁師が、「農家には将来がない」「家計が厳しいから存続を子どもに勧められない」「サラリーマンは安定している」などと事業の後継ぎに不安を抱いていた。
そんな中、「この島では、ほとんどの子どもが漁師を引き継ぐ」と言う。
「こんな僻地で?本土から40キロ以上離れていて遠いのに、なんで後継者がいるのだろうか?」これは驚きである。
なぜだろうか… 「これについては、この島出身の人たちの話を聞いてみたいなぁ…」
聞けるまで、島から出られないなぁ…
プロの落語家やピアニストも来るそうだ。著名人の学校訪問は、福岡市教育委員会が公募する。
「島」と「僻地」という条件から、多くの有名人が小呂島に関心を持ち、小呂島を訪問することを決めるそうだ。
島には、宿泊場所がないので、学校や島のための訪問客には、島民の人たちが宿泊先を提供するそうだ。
学校や島のためではないと、宿泊させることを拒むそうだ。
【今夜テントを張る公園 下にいるのはバックパックを背負った結花】
島の道は、市道や国道でないため、ヘルメットや免許が必要ないそうだ。(これは本当だかわからないが…)
島のお店は、漁協「購買部」の一店のみ。
島の魅力 “魚”と“連帯感”
島の魅力は、漁師が採ってくる“魚”だ。時期によって、個人漁や巻網漁に切りかわる。
巻網漁では島のみんなが協力しあって、「ヤズ(魬(ハマチ)や鰤(ブリ)の若魚)」を捕る。
1月~5月が個人漁で、それ以外の7ヶ月間は、島のみんなが協力しあった漁を行う。
7ヶ月間、島のみんなで協力して漁が行われるとは…このような漁の取り組みも初めて聞いた。
島民/住民の「連帯感が強い」と感じられる島だ。
ぼくらが滞在していた1月下旬には、平目や鰈(カレイ)などの魚が捕れるそうだ。
学校での教育には「島への想いがかけられている」と、学校の教育の一環で故郷愛が徹底されている。
島民も積極的に、運動会など学校の活動に参加する。
今日、校長先生から聞いた話はここまで。「島に若者が戻ってくる」、「漁師を継ぐ子どもがほとんど」という点が、これまで訪れた島や田舎と違うところ。
「後継者がいない」という発言をよく耳にしていたので、「ほとんどの若者が引き継ぐ」ことについては気になる…理由を知りたいと思った。
明日、8:40~9:00の間に、校長先生とお会いして、学校を見学させてもらうことになった。
18:00ごろ学校を出たぼくらは公園へと戻り、料理を始めた。
ちなみに、福岡では、「…だけん」という方言がよく使われていた。
この日、なぜだかわからないが、これまでの旅を振り返り、友だちや家族など、みんなとの暮らしと陸で繋がっていた方が良いと感じたのか、ぼくの生活スタイルは「“島暮らし”ではないかもしれない」と思った。<続きはこちら>
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【福岡県小呂島 – 小呂小中学校にて。(左から)理科の山口哲也先生、英語の力武直子先生、ぼく(中川生馬)(翌日撮影)】
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