移住先の石川県穴水町、娘が通う向洋小学校では毎年年末にPTA広報誌「向洋っ子 ~絆~」を発行している。
長いこと、ぼくは小学校のPTA広報委員長を務めていて、広報誌の編集後記を担当している。
2025年の広報誌にのせた編集後記、このブログにも載せたいと思う。
娘・中川結生が、今年で小学校を卒業する。
6年間を振り返ると、ただ「小学生として成長した」という一言では片づけられない、あまりにも濃い時間だった。
2020年から1年以上続いた新型コロナウイルス感染症。
学校が止まり、行事がなくなり、友だちと当たり前に顔を合わせる日常が、突然奪われた。
2022年には、穴水町の小学校統合を白紙に戻すよう求める請願が採択され、署名を集め、提出するという経験もあった。
子どもたちの学びの場をどう守るのか。その問いに対して、大人たちが本気で悩み議論し、行動する姿を、子どもたちは間近で見てきたと思う。
そして2024年、能登半島地震。さらにその後の豪雨。
自然の力の前で、人がどれほど無力かを、これでもかというほど突きつけられた。
6年間の小学校生活を振り返ると、「ここまで“休み”が続いた世代は、これまでなかったのではないか」と思う。
感染症、地震、豪雨。日常が止まる経験を何度もしてきた世代だ。
正直に言えば、地震以前の自分は、震度1や2程度の揺れではほとんど気にも留めなかった。
だが今は違う。
少しでも揺れを感じると、「外に出たほうがいいか?」「家が倒れたらどうする?」「車を家から離すべきか?」と、頭の中で一気に思考が巡る。
心と体が、地震を“覚えてしまった”のだと思う。
さまざまな事情から、隣近所の一軒は地震後すぐに離れ、もう一軒の夫婦も、2026年の年明けごろには引っ越す予定だ。
少しずつ、確実に、周囲の風景は変わっていく。
歴史的に見ても、日本最大級の地震を含む出来事を体験しながら過ごした小学生生活。
できれば、こんな経験はしなくてよかった。悲しい出来事も、理不尽に感じることも、きっとたくさんあったと思う。
それでも、この6年間は確実に、子どもたちの中に「生き抜く力」を残したはずだ。
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ぼくは2013年に能登へ移住した。
周りには70代前後のおばぁちゃん・おじぃちゃんばかりで、みんな元気に畑仕事をしていた。
そんな環境を体感しながら、移住当初からどうしても頭から離れなかった問いがある。
「このおばぁちゃん・おじぃちゃんたちがいなくなったら、この集落の畑や広場、空き家、集会所は、いったい誰が維持するのだろう?」
「移住してきたけれど、10年後、この集落はどうなっているのだろうか?」
2010年10月、初めてバックパッカー旅で穴水町を訪れたとき、人口は約1万人だった。
それから毎年、およそ200人ずつ減り続けている。
このままいけば、2030年には6000人を切る見込みだ。
さらに、能登半島地震の影響で、その流れは一気に“早送り”、加速されたように感じている。
とはいえ、遅かれ早かれ、人口減少や過疎化は避けられない現実だった。
だからこそ思う。
地方や田舎は、いつまでも行政や国に頼るだけではなく、現場に住むぼくら自身が、自立してやっていかなければ、なにひとつ乗り越えられないのではないかと。
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これまで何十年も、「地方活性化」「地域振興」「過疎対策」「地方創生」「関係人口」「交流人口」「持続可能な地域」「二地域居住」など、言葉を変えながら、地方を元気にしようとしてきた。
だが、数値を見れば明らかなように、「減少」という流れ自体は変わっていない。
「関係」や「交流」人口を否定するつもりはない。
取り組みとしては、とても素晴らしいものだと思っている。
ただ、最終的に現地を芯から好きになり、長期間、ある種の“覚悟”を持って住む人がいなければ、田舎の現場は維持できない。
「関係」や「交流」は、そこに土台があってこそ成り立つものだ。
では、変えられなかった根本原因はなんなのか。
それは、田舎や地方に住む、ぼくら自身なのではないだろうか。
自立しようとしていない。“誰か”に頼りすぎていないだろうか。
移住してから、何人もの人にこう言われてきた。
「なんで、こんな田舎に来たの?」
「こんな田舎のどこがいいの?」
「仕事、ないでしょ?」
おそらくこれは、現地にいる“親”たちが、子どもたちに「田舎にはなにもない」「都会にはなんでもある」「田舎には仕事がない、就職は都会で」と教え続けてきた結果なのではないかと思う。
そう教えられた子どもたちは、本当にそう信じて育っていく。
そして大人になり、同じ言葉を、周囲、子どもたち、移住者に投げかける。
あまり良いサイクルではない。
だからこそ、ぼくは現地の人たちに問いかけてきた。
「みなさんの子どもがここに住んでいないのは、そう教えてきた大人側にも原因があるのではないでしょうか?」
「その状態で、“外から来る人”に頼るのは、どうなのでしょうか?」
自分が暮らす能登、穴水町について、どんな話をしているだろうか。
この町の“魅力”を、ちゃんと伝えられているだろうか。
能登、穴水町で、なんとか自立しようとする行動そのものに、“おもしろさ”があるのではないかと、ぼくは感じている。
穴水町の人口が最も多かった頃、ぼくらの親世代は、自立しようと、大小問わず起業し、生業を築いていたのではないだろうか。
大変ではあっただろうが、そこには確かに「生きる手応え」があったはずだ。
そのときの“おもしろさ”を、現代のやり方に落とし込むことができれば、なんらかの化学反応や相乗効果が生まれるのではないか。
そしてそれが、能登や穴水町の“良さ”を次世代の子どもたちへ伝え、現状維持につながる可能性もあるのではないかと思っている。
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話しは少し変わるが、そもそも田舎へ移住した背景には、子どもたちに「自然豊かで、人に左右されすぎない環境の中で、自分の感覚で育ってほしい」という願いがあった。
その原点は、穴水町よりもはるかに小さな、僻地5級の離島「小呂島」にある。
人口はわずか160人ほど。
詳しくここでは語らないが、そこで出会った校長先生や先生たち、親御さんたちの言葉が、今でも心に残っている。
「田舎の子どもは、周囲の大人次第で、感受性がいくらでも豊かになる」
「住む場所への想いは、教えられるものではなく、育まれるものだ」
また、小学校がなくなってしまった離島や田舎町にも旅で訪れたことがある。
どこでも聞いたのは、「小学校がなくなったら、その地域は終わりだ。子どもたちの笑い声が聞こえない、さみしい」という言葉だった。
どうすれば、穴水町を“維持”できるのか。全盛期に戻すことがゴールではない。
行政や国といった“大きなレベル”の話だけでなく、まずは一人ひとりが、家族や集落という単位、身近な“舞台”で、なにができるのかを考えることが大切なのだと思う。
能登、穴水町、向洋小学校、限界集落で育つ子どもたちには、大きな利点がある。個々の良さが育つ。
そして同時に、“親”たちの意識を変えていくことも、ものすごく重要だ。
今は、テクノロジーのおかげで、都会でできることの多くは、田舎でもできる。
それを実体験として、ぼくは感じている。
穴水町ならではの暮らしを子どもたちに体感してもらいながら、現代のテクノロジーをうまく使えば、ある意味で“最先端”とも言える、幅広い選択肢を持った田舎暮らしができるはずだ。
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さまざまな出来事を、ポジティブに受け止め、乗り越えてきた“向洋っこ”たち。
学ぶ力が最も重要な小学生という時期に、彼らは大きな成長を遂げたと思う。
6年間、家族と過ごす時間と同じくらいの時間を、向洋小学校で過ごした子どもたち。
素晴らしい“向洋っこ”に育てていただいた先生方には、心から感謝している。
限界集落――この言葉はあまり好きではないが
そこに暮らす家族や子どもたちにとって、小学校は、なくてはならない“拠点”だ。
穴水町には二校しかないが、向洋小学校は、まさに能登・穴水町らしい場所にある学校だと思う。
全校生徒が“ファミリー”になる拠点だ。
これからも、学校の維持・存続を、みなさんの力で支えていってほしい。
6年間、本当によくがんばった。






































































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