最近、頻繁に耳にするSDGs。10年ぐらい前はミレニアム開発目標なんちゃら。その後、もろもろ名前を“ちょっと”変えて、目標が増えて登場したSDGs。
結局はさ、そもそもの根本が変わらなければ、変化は見込めないじゃない?と、これまでの“目標”の流れをみてきて思ってしまうわけだ。そこを把握している人たちはどんだけいるのだろうか?
SDGsをただ単にCSRや広報観点から語る企業や組織、そのトップやスタッフ、本人自身の暮らしでモノを無駄にして、モノをすぐに使い捨てていないだろうか?
パーティー、飲み会などで食材を無駄にしていない?紙コップ、紙皿、ペットボトルなど無駄に捨ててない?
無駄にモノを買って、地球資源を無駄にしていないだろうか?
使い捨てって概念を捨てられているのか?安いからって、汚れては捨て、再び買っては捨ててという無駄なサイクルを繰り返した生活を送ってはないだろうか?
言いたいことは至ってシンプル。
実生活で無駄のない暮らしができていなければ、説得性にかけるわけだし、結局、みんな、そこまでできていないわけだ。
SDGsを上っ面で語っている人ほど、「仕事として語っている程度」で、無駄が多い気がしてならない。
そこまで語るのであれば、極端な話しではあるが、企業や組織などで開催するパーティーも取りやめて、その分、パーティーにかかった食材や費用を貧しい人たちに提供してはどうだろうか?
バーベキューなど人との集まりでは使い捨てコップや皿などの使用をやめてみては?
そのパーティーにはどれだけのコストかかり、どれだけの食材が無駄にされているのだろうか。消費概念を捨てて、ゴミという概念も捨てて、取り組まなければ、語っている人たちにとって、「SDGs」はただの上っ面の言葉でしかない。
いい加減、SDGsとか大きな構図ばかりを語ってないで、まずは、一個人の暮らしで無駄が本当にないのか?シンプルにそこから見直してほしいものである。
SDGs… 必要?
必要と言えば、“ないよりもまし”程度なのかもしれないが、キャンペーン、プロジェクト、活動費などそこに莫大な費用をかけるべきではないのでは?と考える。
それよりも、もういい加減、人間のモノを無駄にする欲は、結局のところ、コントロールできないってことに気づくべきだろう。
地球上の資源、人権などが本当に危ういのであれば、最終的には法的罰則力で、なんとかするしかない。
もしくは、現代のテクノロジーを集結させて、危ういとされている世界的な課題を一気に解決することに集中、投資するのがベストだと思う。
SDGsを語る人たちが、SDGsで挙げられている課題に対して、まずは自身の“無駄”を見直して、“根本”から改善してほしいものである。
本気で世界を改善するなら、トップが世界で一番貧しい大統領として一時期話題となったウルグアイのホセ・ムヒカさんのような暮らしをしてほしいもんである。
まぁ、そこまで極端なライフスタイルまでいこう!とは言わないが、目指すべき姿は、そういった“無駄がない”暮らしではないだろうか?
実際プライベートにSDGsを落とし込めていない人たちが語っても、結局のところ、説得力に欠けるわけなのだ。
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