ぼくは、女子プロレスの木村花選手を知らないし、木村選手が出演していた「テラスハウス」を観たことはない。
しかしながら、彼女の死去に関する報道は、SNS/ソーシャルメディアなどに上がってくる。
木村花選手の死去に関する事実報道だけでなく、その一部のコメント、拡散されたコメントに「SNS上での誹謗中傷コメントをした人たちは罰せられるべき」のようなコメントを見かける。
SNSで言われる“中傷”は確かにひどいものが多い。有名人はそれを日々受けている。ある意味、宿命的な感じもしてならない。また、一方では、そのコメントされた有名人の投稿には、「ここまで発言しちゃう!?」的なコメントもある。
それが誹謗中傷コメントにつながることもあるわけだ。
中傷もあくまでも個人の意見としてとらえてしまえば、それまで。
現実問題、“中傷”のコメントには個人差がある。どこまでのコメントを中傷とらえていいものなのか…
精神的に強ければ、誹謗中傷コメントなんてどうでもよいと思う人もいることだろう。
SNS/ソーシャルメディア上、有名人や個人でも、政治家に対して、意見することも多々。名指しで批判することも。
だが、それを批判的、誹謗中傷コメントととらえるべきなのか。それを「意見」としてとらえるべきなのか、判断はかなり難しい。ざっくり言うと、人によってとらえ方が違うからだ。
政治家からすれば、「悪意ない、ただただ… なんとか国民のために頑張っている」「ベストを尽くしているだけ」「間違えて物事言ってしまった」「そんなつもりで言ってなかった」などあるはず。もちろん、逆パターンも。
個人の教育背景もあることかと思う。教育の背景によって、「言い方」「話し方」を習っていない人にとって、誹謗中傷コメントしかできない人もいる。
精神的に弱い人であれば、悪意ないコメントを、誹謗中傷ととらえてしまう人もいる。
どこまでが「批判的」「中傷的」など、決めることは、ものすごく難しいし、「インターネットの意見の自由」という世界観もある。
逆にこれを取り締まるルールを決めてしまえば、それはそれで、自由に意見/コメントできる世界ではなくなる可能性も高くなる。
ルールづくりを行うことで、「なにも言えない世界」になりうる、監視社会になる可能性もあるので気を付けるべきだと思う。
現時点で言えることは…
そんな批判的かつ誹謗中傷的コメントを言う人は相手にしないこと。ただの一意見としてとらえる。「言い方を知らない人なんだ」と思うことが重要。
傷つきやすいタイプであればSNSをしないで自分を生きるのみ、投稿を限定する、などしかないかと思う。
特にツイッターは匿名性が強いため、そういった要素が多いので、昔から流行った“リアル”2チェンネルになりうる可能性が高い。
まぁ、とにかく、ぼくは自分を生き続けるのみ。なに言われようと、意見として聞くが、自分の想いを貫くのみである。
ただ、やはり人の死は年齢問わず悲しいもの… 木村花さんの死去には心からの哀悼を捧げたい。
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