2010年12月14日(火) – ぼくらは高知県の沖の島でキャンプができる白岩岬公園を経由して、現在、「弘瀬(ひろせ)」という村にいる。(前回のお話しはこちら)
ぼくらは弘瀬で、シャワーを浴びることができる場所を探しているところ。
「入浴交渉中」だ。
数人に聞いた情報によると、「セルフ宿市原」を経営している人は、弘瀬の商店「市原商店」も経営している。商店に向かい、「お支払いしますので、民宿でシャワーを浴びさせてくれませんか?」と尋ねる。
すると、市原さんは優しい人で、「そんな別にお金は良いから」と、商店奥にある自宅のシャワーを貸してくれた。「いやー、これは本当に嬉しい!」
結花が先にシャワーを浴びる。ぼくはその間、市原商店のお母さんとお話をする。
沖の島では、とにかく11月ごろから強風がひどいそうだ。魚は釣れるそうだが、海が荒れているので、船を出すことはできない。確かに片島港からの定期船はとんでもない揺れだった。
こんな状況では、小さな船では、漁業にいけない。冬は海が荒れるので、漁業は主に3月から10月に行われるそうだ。
市原さんによると、(前にも書いたが)沖の島の人口は約200人。住民票が沖の島になっている人も含めて200人だが、実質、弘瀬には54人、母島には58人が住んでいるとのことだった。
少人数ではあるが、最近、弘瀬には若い人々が帰ってきているらしい。
沖の島では、磯釣りが一番盛んで、グレ(めじな)が釣れるスポット。ダイビングの良いスポットも多くあるそうだ。市原さんのお母さんは、約25年、大阪に住んでいた。
子どもは4人。娘さん1人は現在、両親と一緒に沖の島に住み、市原商店を手伝ったり、小さな子どもたちの面倒を見るなど子どもからお年寄りが触れあえる施設「あったかふれあいセンター」で働いている。実に、温かみありそうな名前の施設だ。(あったかふれあいセンターについてはこちら)
中学校には、各学年に生徒が1人いるだけ。小学校は現在休校中だが、まだ島に小学生になる子どもがいない。また、校舎の老朽化が進んでいるため、「廃校」に近いそうだ。
以前、子どもたちがいなかった愛媛県の大島について少し話すと、「子どもがいないと地域に元気がなくなる。子どもがいると、不思議にみんな元気になる。子どもたちは沢山パワーを持っている」と言う。確かに子どもがいないと、ぼくらはなぜか「この島や町は、いつかなくなる。廃屋が多くなるだろうな」と、行く島々で想像してしまうし、子どもの「動く」元気、行動力は無駄が沢山あるが、半端ない。
若い人たちも何人かいるそうだ。彼らは、弘瀬で商店勤務、ダイビング、漁協勤務、プロパンガス屋、電気工事、看護師などをしているそうだ。ぼくらを弘瀬まで乗せてくれた若い人たちは、電気工事の人と看護師の人だった。
沖の島は、ダイビングでも有名のようだが、島外の宿毛や片島地域にあるダイブショップからお客さんが来るので、沖の島でダイビングのビジネスをしようとして移住した人にとっては、厳しいビジネスとなっているそうだ。
沖の島では11月ごろから海が荒れていて、ダイビングのお客さんは少ないため、宝石用の珊瑚(サンゴ)を採ってブローチなどのアクセサリー/装飾用サンゴとして、市場に卸しているそうだ。
サンゴ漁の期間は限定されている。120メートル×30メートルの網で、珊瑚捕るらしい。
また、地域活性化のために、沖の島では「二世会(にせいかい)」を立ち上げたそうだ。ぼくらが沖の島を訪れたとき、二世会の会長は、装飾用のサンゴを島外市場に出荷していたので、話を聞くことはできなかったが、二世会の活動はこれからだそうだ。
しばらくすると、結花がシャワーから出てきたので、ぼくがシャワーに入った。とりあえず、頭がやたら痒かったので、3回も洗ってしまった。
市原さんの家にあったSeaweed(シーウィード)シャンプーを使わせてもらった。そのシャンプーが良かったのか、頭の痒みがようやく消えた(ような気がした)。
沖の島の市原商店の経営も厳しい。どこの島の商店でも経営がきついのは変わらない。
商店にモノを仕入れる際、船代など輸送費用がかかってしまうため、島内の商店に置いてある物の価格は高く、陸つながりで輸送される本土のお店にある商品のほうが安い。
島の人は、本土へ行ったときに商品をまとめて購入したり、オンラインショップや電話で、食料含め生活必需品を購入することが多くなっているそうだ。
島内の人々は助け合って毎日を過ごしているが、「物の購入」になると、ネットを含め便利になったこの世の中、「安さ」をとるのが現実なんだろうかと思う。
沖の島の場合、多くの島民は、宿毛のスーパーから食料品などを宅配便で取り寄せているそうだ。
島の商店の売り上げも年々減少している。それが現実なので、(簡単ではないと思うが)島々の商店は今後、なんらかの工夫が必要となってくる。
島民はそこまで「ねちっこくない。以前よりはドライになってきている」という、島々の商店の話しも良く聞く。以前は取り寄せのようなサービスがなかったから、時間の問題だったのだろう。
しばらくすると、市原さんの娘さんの市原知佳さんが帰ってきた。知佳さんは、島内のお年寄りや子どもたちが交流できる場「あったかふれあいセンター」で働いている。
「明日にでも是非、ふれあいセンターに遊びにきませんか?」と、知佳さんが声をかけてくれた。ぼくらは明日、お昼過ぎにふれあいセンターに行くことにした。
知佳さんは、28歳まで香川県で仕事をしていたが、お父さんから「お母さんの体調がよろしくない」ことを聞き、沖の島へ戻ってきたとのことだった。
しかし、お母さんの体調は良かったそうだ。この日、そんな話を知佳さんは笑いながら話していた。島や田舎に暮らす人たちは、郷土愛がつよく、地元に暮らしたいという想いは強い。
そんな背景もあり、知佳さんは戻ってきたのだと思う。
知佳さんとは明日、「あったかふれあいセンター」で話すとして…
さて、そろそろ待合所に戻って、寝る準備だ。(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 50.2 高知県沖の島の弘瀬で「あのー…すみません!シャワー…浴びさせてくれませんか?!」』>
<次回のストーリー 『day 50.4 サントリーニ島の“和風”バージョン 高知県 沖の島』>
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