「関係人口」「交流人口」──最近の地方創生のキーワードとしてよく耳にする。
確かに都市と田舎をつなぐ新しい形としては面白いし、観光業的な側面ではプラスの効果もある。だが、正直に言えば、それだけでは地方活性化は難しい。
「関係人口」「交流人口」──最近の地方創生のキーワードとしてよく耳にする。確かに都市と田舎をつなぐ新しい形としては面白いし、観光業的な側面ではプラスの効果もある。
だが、正直に言えば、それだけでは地方は活性化しない。
もはや「関係人口」「交流人口」は何十年も前から「観光」を切り口に行っている。
田舎の現場にいる自分から見れば、同じことを繰り返しているとしか見えない。
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なぜか?
理由はシンプルで、地方に腰を据えて暮らす人がいない限り、人口減少の流れは止まらないからだ。
たとえばスーパー。観光客が一時的に立ち寄ることはあっても、日常的に利用する人がいなければ、成り立たない。
学校も同じで、通う子どもがいなければ廃校になる。廃校になれば、その地域の活気はなくなり、いずれ廃れる。
医療機関だってそうだ。地域に生活する人がいなければ、サービスそのものが消えていく。
祭りもおなじだ。現地に住む人たちがいなくなってしまえば、毎年、外からやってくる人々も参加ができなくなる。
消えていけば、もはや地方/田舎の拠点はなくなり、行き来すらできなくなる。
地方が本当に元気になるためには、「田舎に住む人」が増えることが絶対条件だ。
観光客や関係人口がいくら増えても、根っこの部分は変わらない。
ただし、関係人口や交流人口にまったく意味がないわけじゃない。むしろ、それが定住へのきっかけになるケースもあるだろう。
最初は観光で訪れ、次に交流イベントで地域の人とつながり、そこから「ここに住みたい」という気持ちに変わる人は”多少”は存在する。
だがだが… 極端で悲観的に言うが、そんな人たちは指で数えるほど。
だからこそ、関係人口を入り口にしつつも、最終的には「田舎に拠点を持つ人」を増やす仕組みをどうつくるか。ここに地方創生の本質があると思う。
だが、田舎/地方現地に移住、“お引越し”したぼくから言えば、「関係人口」「交流人口」は言葉を格好良く変えた程度で、これまでの取り組みとなにも変わっていないと思っている。
「観光」する人々、普通の旅行者となにが違っているのか?どれぐらいの「関係」「交流」のことを言っているのか?普通の旅行者もちょっとは、地方への旅行時、旅行先の人たちと、少しは「交流」「関係」するようなアクションがあるよね?!そう大してかわっているの?!
まぁ、ぼくはそれが悪いとか良いとか、悲観的なことを言いたいわけではない。ただ単に、政府レベルまでのお話しで、こんなテーマが出てくると、毎回、言葉を変えようとするんじゃなくて、より進んだ次のアクションへと進もうよ…と思ってしまうわけだ。
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それに加えて、多拠点生活、ニ拠点生活に関して言うと、それで地方を活性化させたいと思うなら、メイン拠点は都会・都心ではなく、つねに帰る場所・暮らすメイン拠点を田舎/地方のほうに置いてほしい。都会は逆に第二の拠点にすべきだろう。
そうすることで、普段いる場所は田舎/地方になり、人口増につながり、その地域が活性、田舎/地方を維持する方向へとつながる。
「つねに帰る場所・暮らすメイン拠点を田舎/地方のほうに置く」「都会は逆に第二の拠点にする」、これってかなり重要…と、ふっと思ってしまった今日この頃。







































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