石川テレビの五百旗頭幸男監督のドキュメンタリー映画『能登デモクラシー』を公開前に鑑賞させてもらった。
前回の作品『裸のムラ』の多くは能登半島の奥、“奥能登”の玄関口である石川県穴水町で、ぼくも一バンライファーとして登場させてもらった。
今回の『能登デモクラシー』の舞台も穴水町だった。その背景と、自身の穴水町でも体験談も含めて、書き留めた。以下内容は映画の報道関係者向けの資料や、パンフレットで使用される予定の内容。
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奥能登・穴水町に地方/田舎移住して12年、「この田舎町はなにかがおかしい」と体感したのは移住3年後の2016年に参加した移住定住協議会での出来事だった。最初の会議で「参加者に報酬を支払う」と言ったにもかかわらず、「そんなことを言った覚えは一切ない」と役場側にばっさり言い切られ、役場に対する不満と反論が始まった。
自分の中ではもはや報酬の問題ではなかった。役場という信頼されるべき組織に属す人が発言を確認しようともせず、「全く言った覚えはない」と言い張り丸めこもうとした。自分のブログに「(補助金の使い方含め)この役場は“おかしい”」と思ったことと、その証拠記録を含め掲載し、翌年の議会は大荒れとなった。
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穴水町役場 政策調整課 課長の無責任な『報酬』発言と『証拠』 – バックパッカーが語る地方自治体のあるある?!<その1> |
「移住者がここまで言っても良いものなのか?」と迷いに迷い役場に対して発言したブログでは、「例え小さなコミュニティ・田舎社会であろうと、自分がどこに居ようと、おかしなことはおかしいと言う」という自身のこれまでのスタンスは崩さなかった。
記事を読んだ人からは「役場との利害関係がある」「親族が役場にいる」「正しいことを言っていると思ったが、SNSで“いいね!”すらできなかった」など、“タブー”的なコメントが寄せられた。町に対して「正式に公で発言する人がいない」「役場の一方通行でこれまで全ての話が通っていたのか…」という、“田舎あるある”を体感した。
その後、2022年、穴水町内二校の小学校統合が議題に。長女が通う小学校がなくなる可能性があり、一当事者になった自分は再び発言し始めた。人口減少や少子化が激しい田舎町だからといって、町民、小学生の保護者、これから小学校に上がる当事者に対して詳細な説明なしに、“小学校の統合ありき”で、役場側が統合を“勝手に”推し進めていいものなのか?と議会に問い、統合を白紙に戻すよう求める請願書を提出、教育常任委員会で不採択になったものの、最終結果の本議会では異例の“逆転採択”となった。
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石川県穴水町二校の小学校統合の白紙 請願、真摯に耳を傾けた議員は誰なのか?本議会で小学校統合は採択されたのか?<その1> |
小学校統合は都市構造再編集中支援事業の一環。映画『能登デモクラシー』で描かれている、吉村町長が理事長を務める牧羊福祉会の福祉施設の集約や、多世代交流センターもその一つで、“私利私欲”が絡んでいるのでは?という疑問も説明会やブログで指摘した。
学校統合問題では同時に署名簿も提出。滝井元之さんとの出会いは署名活動で伺ったときで、町にはまだまだ“変わった人” (「芯のある人」の意)がいると感じた。
五百旗頭監督との出会いは前作のドキュメンタリー映画でぼくが出演させてもらった『裸のムラ』。撮影後そして映画公開後に同時進行していたのが小学校統合の話で、ちょくちょくと情報を共有し、穴水町の“山奥”に滝井さんという誰よりも熱心な“先生”がいることも話をしていた。一田舎の穴水町の「“先代”から続く、田舎町のおかしさ」を深掘りしてほしいことを願い紹介した。
五百旗頭監督の作品は常に視聴者に“なにか”を問うスタイル、監督なら深掘りして追究して取材するのではないかと思ったからだ。
血族/親族、利害関係で成り立っている田舎社会、役場と議会の二元代表制とは一体なんなのか?田舎社会での議員と役場の関係性に関してもこの映画から紐解けるかと思う。
能登半島地震の映像は大変センシティブで、涙するシーンも含まれ、田舎の強さ、田舎に住むことの幸せ、コミュニティと寄り添うことの大切さ、家族との絆や愛などが、ボランティアで大働きする滝井さん夫婦から感じられた。一方で税金を報酬とする町長・役場職員・議員の地震前後の姿勢の変化、小さいコミュニティだから見過ごしてきた法律など、あらゆる田舎の“なあなあ”も盛り込まれている。
これまである意味“放置状態”だった田舎社会、多額の補助金が地方に落とされているのにもかかわらず、「現場の“監査”は本当に入っているのか?」という疑問点や、何十年と言っていいほど長年“なあなあ”が続いている田舎現場。ぼくたちの税金がどのようにして利活用されているのか?そんな内容も露呈されている。
それがニュートラルな立場で描かれている映画が『能登デモクラシー』と感じた。別名『Not Democracy』とも読み取れる実情が描かれている作品だと思う。
また、この映画を観た各地方の現場にいるメディアの方々、現場にいるからこそ深掘りできるメディアとしての役割もぜひとも再考いただきたい。地元社会との関係を気にすることなく、“おかしな”点は、遠慮なく、ニュートラルな視点で取材して深掘りすることを検討してほしい。
穴水町は“田舎あるある”のあくまでも氷山の一角。田舎に住む人たちは滝井さんが言うとおり「流れに任せる消極的な生き方」をしていると感じている。
この映画をきっかけに、小さな町だからこそ、変えられることがある、おかしいと言える「場」を築くことで、田舎はもっと暮らしやすく、ポジティブな方向へと進めることにも気づいてほしい。場所を問わず、文句や“噂話”ではなく、“正式”に意見することで、その場は変革するだろう。
映画最終シーンは「結局、穴水町は変わるのか? 変われないのか?」とミステリアスな感じで終わったと思いつつも、“人任せ”ではなく、各町民一人ひとりが立ち上がるスタンスの重要性をメッセージとして訴えかけていたのかもしれない。引き続き、深掘りした続編にも期待したい。
中川生馬(なかがわ・いくま)・・・2022年公開の五百旗頭監督のドキュメンタリー映画『裸のムラ』出演。2013年に神奈川県鎌倉市から石川県穴水町に移住。メディアへの情報発信をするフリーランス広報をする他、穴水町で「未知の暮らしを知れる“旅人”交流拠点」をテーマにキャンピングカーなどの車中泊スポット兼シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」を経営・運営。キャンピングカーのカーシェア「Carstay(カーステイ)」などのスタートアップや中小企業の広報を担当する。
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