能登・穴水町岩車 – またまたバックデートで能登での生活ぶりを載せよう。
アメリカ・ユタ州とオレゴン州への出張から帰国2日後、今日午前中約1時間は、2014年10月30日に稲刈りをし、約1年眠らせていた籾(もみ)を、“半農半漁”ライフスタイルの川端さん宅の籾摺り機(もみすりき)を使わせてもらい、玄米にした。約90キロの籾だったが、籾殻がとれて約40キロの玄米になった。
稲刈りから白米になるまで
籾(もみ)とは、田んぼで稲を刈り、外皮に包まれたままの米のこと。稲を刈り、「実」いわゆる米の部分を穂から取り離し脱穀、その脱穀直後の「実(米)」が籾の状態となる。
①稲を刈り、②脱穀、③その後、籾摺り機で籾殻(もみがら)を取り玄米にする。④最後必要に応じて、玄米を精米機にかけて、白米にするわけだ。ちなみにこの籾殻は、畑の肥料にする人もいるとのことだ。
籾摺り機なんて…農家でもないぼくらバックパッカーの家にはないので、大変ありがたい!
約1年前の稲を籾のままとっておいたので、コンディションは良く十分食べられる。
田んぼしたの?!
ぼくが田んぼ作業をしたわけではない。田植えをしたことはしたのだが…お手伝い程度。今回作業して稲刈りしたのは別の田んぼだ。
県内最大手で唯一の地方銀行・北國銀行(ほっこくぎんこう)を早期退職、銀行マン生活を離れ、生まれ育ったここ岩車にUターンし、農家に“転職”した長崎公雄(ながさき きみお)さんが、刈りきれなかった田んぼの稲を刈ったもの。(長崎さんのストーリーはこちら)
数日間、雑草ぼうぼうの田んぼで稲を刈り、脱穀した。約90キロの籾をそのまま約1年間眠らせておいた。すぐに食べたかったが、稲刈りのタイミングがかなり遅くなってしまい、農家の籾摺り機は倉庫入りしたので、籾を摺ることができなかったことから、籾摺りは翌年の稲刈り時期になったわけだ。籾の状態であれば、一年間の保存なんて全く問題ない。
バックパッカーファミリーの中川家では移住後、栄養たっぷりの玄米に切り替えたので、籾摺り機で仕上げた玄米を炊飯器にかけて食べる。
約90キロの籾殻付きの米は、約45キロの玄米に。約40キロの玄米、2~3か月はもつかな…
河端さんファミリーと長崎公雄さんに感謝!
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