2011年4月1日、熊本県天草市牛深町&崎津 – 牛深ハイヤ大橋で100系ハイエースを“自宅”として、クルマ旅をする北海道出身の二階堂隆夫さんと出会い、彼の“自宅”訪問をしたぼくら田舎バックパッカー。
これから、ほんの少し二階堂さんとの旅が始まる。仲間がいると旅はおもしろい。
さて、どこへ向かうのか…(前回の話しはこちら)
まずは、お世話になった事務局長 西向(にしむこ)さんにお礼をしに、牛深ハイヤ大橋そばにある「うしぶか海彩館」事務局へ。
二階堂さんと出会い、牛深を出発することを伝えると、お土産として3つの赤まきをくれた。赤まきは漁師のお菓子で、お餅の皮で、あんこやパン生地などを包んでいる。甘くて、見た目よりもボリュームがあり、腹持ちがいいそうだ。
そんなこんなで、二階堂さんと、ぼくら田舎バックパッカー3人の旅がスタート、まずは天草の東海岸沿いへと向かうことになった。
天草の海岸線沿いを走ると、海には多くの島々が浮いている。海の透明度は高く、かな〜り綺麗な風景が広がっている。
まずは大江天主堂方面へ向かう。途中、湾の真ん中にある島にコテージが建っていた。気になる。
途中、クルマをとめて、岩場に降りる。晴天で気持ちが良い。そして、日照りの中、しばらくの間、3人の会話が始まった。
またまた、いろいろとクルマに積んでいるものを見せてもらっていると、二階堂さんがぼくらに「梅酒飲む?」と質問をする。「好きですよ」と返答すると、17年もつけてあった梅酒をいただいた。
ぼくらが道で話していると、ハイブリッド車が突然、ぼくらの横で止まり、女性がクルマから降りて、ぼくらのほうへ走ってきた。
女性は「よろしくお願いします!」と、ぼくらに県議会議員候補の池田かずき氏のビラを渡す。選挙活動中だ。
数枚渡してくるので、「ぼくらは県外出身で投票できないので」とビラの無駄を考え、1枚名刺のようなものをキープして、残りのビラを返した。
会話はあちこちへ…
その後…二階堂さんの「高校の若さで単独でアメリカ留学かぁ〜。そりゃすごいね」から始まり、英語教育やアメリカでの教育の話しになり…会話はあちこちへ。
なぜ、日本人は英語を話せないのか?簡単に言えば、みんながわかっているとおり、日本の英語教育は、積極的に自分から話すということを学ばない。文法や書き方のみで、話し方を学ばない。そもそも、日本の教育全般は受け身。先生と教科書が全てを進行する。
生徒は基本座っているだけだ。英語での喋り方含め、コミュニケーションの取り方も使って実践しないと覚えるわけがない。
という話しだったり…パソコンや情報発信の話しにも…
今後、パソコンスキルも基礎としてマストに。パソコンはあくまでもツールの一つ。どう活用するかによるが、情報発信の基盤としては欠かせないアイテム。
アメリカでのパソコン教育は早い段階から行われていた。ぼくが留学でアメリカの高校に通い始めた1995年のとき、授業では既にパソコンが導入されていた。高校にコンピュータの授業があり、その授業では既に、高レベルのアドビのイラストレーターやフォトショップの操作方法について学んでいた。
また、アメリカの高校授業のほとんどの課題論文では、パソコンでタイプしたものが要求される。今では日本でも当たり前だろうが、アメリカでは90年代から、高校生の多くが授業のためにパソコンを活用するだけでなく、パソコンを使って、ダイアルアップ回線でテキストチャットなどもしていた。
パソコンを活用すれば、“つながる”という将来性の基礎をアメリカの高校では先行して進めていたのだ。
そして、またまた…二階堂さんのハイエースの後ろ“寝床”の話しにも…(二階堂さんのハイエースについてはこちら)
春の炎天下、ぼくらは道ばたで話し続け、いつの間にか、約2時間が経ち…時間は16:00をまわっていた。
崎津天主堂と…巨大十字架モニュメントへ
ぼくらは、とりあえず、崎津(さきつ)へ。ここには気になる巨大な十字架が山の上に立っている。
崎津には、崎津天主堂(熊本県天草市河浦町崎津539)がある。
ぼくらは、長崎の五島列島・野崎島へ行ったときに、天主堂を初めて見たが、天主堂は純粋にすごく綺麗な建物だ。(そのときの話しはこちら)
崎津に入ると、「入居者募集」と書かれた、比較的新しそうな看板が外壁にかかったアパートがあった。新しい看板をたてるほど、崎津の人口は増えているのだろうか。この町は雰囲気が良さそうで、探りたくなるほど気になる。
「旅の一句を書いてって下さい」と書かれている看板があった。なんらか旅人用の施設っぽい。
崎津天主堂に入り、ここの神父さんに、山の上にある大きくて“太い”十字架モニュメントへの行き方について聞いた。
クルマでは行けないそうだ。
これは町が作った展望所。音楽演奏会も開催できる場所。避雷針も立っている。雷が頻繁に落ちるそうだ。その下の方にある家の電化製品は、すぐに故障してしまうとのこと。
とりあえず、ぼくらは、眺めが良さそうな十字架方面へと向かう。
入口は神社の裏だ。その裏から山の上にある十字架へと行ける。神社の裏に、階段があり、入り口には、なぜか「立ち入り禁止」と書かれている。「神父さんが教えてくれたルートだし...大丈夫かな」っと...その階段を先へと進む。
この地域は「潜伏キリシタンの里」としても知られるようだ。
神社の裏に十字架...隠れてキリスト教の信仰を深めていた雰囲気を感じることができるスポット。ぼくら旅人は、約500段の階段を上へと進んだが、とにかく距離が半端無かった。
どうやら、ここは、「教会の見えるチャペルの鐘展望公園」(熊本県天草市河浦町崎津295)と呼ばれる広場。
標高は100メートルぐらいで…眺めは最高だ。
十字架の周りには、ステージのようなものがあり、神父さんが言っていたように、コンサートなどができる十分なスペースがある。バックパッカー的な視点から言えば...テントも張れそうな気がする...
十字架モニュメントはヒノキの骨組みで高さ約15メートル。90年代に建てられた。
十字架の上には、鐘が提げられていたようだが、おそらく雷の心配があり、下に降ろしてあった。
ここからの眺めを撮影していると、気になる建造物が目に止まった。
半島が二つあり、その合間から水が流れている。その先を一眼レフカメラEOS 7Dで撮影して、気になる場所をズーム。水門らしきものがぼやけて見える。弧を二回描いたような建造物だった。気になるなぁ。あとで、誰かに聞いてみるか…
十字架のモニュメントを後にして、神社を出ると、ジャージを着た人を見かけた…よく見ると…「あっ!昨日、牛深ハイヤ大橋で会った宮田先生だ」と結花が早歩きで先生の後を追う。
この日もジャージを着ていて…なんとなくナインティナイン・岡村さんを背高くして、ハンサムにしたような感じの人。先生たちは、小高浜海水浴場の先で、クロ(グレ)を釣りにきた。数人が餌木で、イカ釣りもしていたそうだ。
牛深では生徒が多く羽が伸ばせないので、宮田先生は夏になると、小高浜海水浴場を活用するそうだ。ちなみに、小高浜海水浴場のシャワーは有料。バックパッカーにとっては有力な情報だ。
宮田先生はこれから、大江天主堂方面へと向かい、二つトンネルをくぐった先にある定食屋「平野家」(天草市天草町大江7327、0969-42-5106)で、700円の日替わり定食を食べに行くそうだ。
フェイスブックで平野家の写真を見せてもらったが、定食の量が多そう。今回ぼくらは行けなかったが、お薦めの定食屋で、食事が美味しいとのことだ。平野家は旅館でもある。
今夜は小高浜海水浴場でテント泊&車中泊
今夜、ぼくらは小高浜海水浴場(熊本県天草市河浦町崎津)でテント泊をすることにした。トイレやシャワーもあるが、冷水なので使えない。
時間も遅くなってきたので、各自、料理を開始。ぼくらは、二階堂さんがおすそ分けしてくれた卵3つとモヤシで料理をした。
二階堂さんは夜、食べずに腐らせてしまった太刀魚(たちうお)を、網の仕掛けに入れて、海の中にセット。明朝、魚が捕れているか楽しみだ。
さぁ、3人、静かな夜空の下、飲み始める。二階堂さんは、クルマの中に設置しているカセットコンロで、韮の卵とじを食べたようだ。
パトカーか消防車の音が聞こえ始めた。「きっと、誰かが(ぼくらについて)通報したんだよ」と二階堂さん。パトカーと消防車は海水浴場の前にある道を、右に曲がり、山の方に行ってしまった。
飲んでいると、一匹の猫がやってきた。海水浴場前の家からは、何十匹もの猫の鳴き声が聞こえる。アメリカ・オレゴン州での大学時代、冬の寒いときに、「寒いだろう」と、捨て猫だと思っていた猫を家に入れて、蚤(のみ)が大発生したことを思い出す…
女子と男子トイレの間には、管理人室のような部屋がある。シーズンオフでなにも管理していないからだろうか、女子・男子トイレ内にある、シャワー室には、ゴキブリの死骸が沢山転がっている。
ぼくらは最初、外にテントを張っていたが、少し風が強くなり、寒くなってきた。翌朝、テントに霜がはり、濡れる可能性を避けたいがために、トイレ入口付近へと移動。
男子トイレの方が、使用率が高いと思ったので、人の行き来がなさそうな女子トイレ内の入口付近にテントを張った。オフシーズンなので、使われている様子はなく、入り口付近は汚くない。
二階堂さんは、自身のハイエースで車中泊(しゃちゅうはく)だ。
20:30ごろ、海水浴場の街灯が消えた。猫は懐いたまま。猫に向かって走って、おどかそうとしても逃げない。こんなに人なつっこい猫は初めてだった。猫は結花をトイレまでおいかける。テントまで来られたら大変だ。爪でテントが破られてしまう。二階堂さんの膝に飛び乗ろうとする猫。
今日、二階堂さんとここ天草で出会い、外でずっと話していたので、かなり日焼けしてしまった。おそらく、ここ数日で、ぼくの顔はぼろぼろになるだろう。
この小高浜海水浴場での一泊は実に静かだ…波の音しか聞こえない。空を見上げると、「流れてる!流れてる!」と、流れ星が沢山!
さて、明日はどうするか…(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 99.8 熊本県天草市牛深で…ハイエースの旅人、衝撃の小便事故とは?!』>
<次回のストーリー 『day 100 バックパッカーとクルマ旅人、天草のお万ヶ池公園でゴルフ?!』>
●関連するストーリー:
- 旅の背景はこちらから
- 【2010年10月】能登半島へのバックパッカー田舎旅こちらから
- 【2010年11月】四国“左周り”のバックパッカー田舎旅こちらから
- 【2010年12月】四国“右周り”のバックパッカー田舎旅こちらから
- 【2011年1月】能登・穴水町岩車椿崎での田舎暮らし体験はこちらから
- 【2011年2月~3月】福岡県 小呂島、長崎県 五島列島や池島の島々へのバックパッカー田舎旅はこちらから
- 【2011年3月~4月】熊本県天草へのバックパッカー田舎旅はこちらから
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