2011年2月5日(土) – 16:00ごろ、小値賀(おぢか)の柳港(やなぎこう)に到着。同じ船に乗っていた親切なおばさんが、ぼくらと酔っぱらっていたおじさんを乗せてくれ、小値賀の笛吹(ふえふき)の小値賀町役場周辺で、ぼくらを降ろしてくれた。
到着早々、ぼくはとりあえず、トイレに行きたかった。役場があったが、今日は土曜日。建物の雰囲気は閉まってそうだ。
近くまでに行くと、役場の入り口の自動ドアを掃除している人たちを見かけた。
「おっ!誰かいる。ちょっと行ってくるわ。トイレを使わせてくれるかもしれない」と結花に伝え、バックパックを担ぎなら走って、役場の建物へと向かった。自動ドアをノックすると、外を背に奥の自動ドアを拭いていた女の人が、「あ!びっくりした!!」と大声で叫び、ノックしたぼくを、口を開き、かなり驚いた表情で見る。
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五島列島 小値賀(おぢか)(西海国立公園)に到着 明日から小値賀散策を開始する。とりあえず、テント泊ができる場所を探す 今晩のテント泊…これまでにない場所にテントを張ることになる… (続きは次のエピソードで) |
「トイレを借りてもいいですか?」と尋ね、トイレに行く。
軽くノックした程度だったと思ったが…驚かせてしまった女の人は、神奈川県平塚出身の美保さん。ぼくの地元である鎌倉のすぐ近くだ。「遠く離れた五島列島の小値賀で何をしているのだろう」と思い、トイレから出て話を聞いてみた。ぼくらの旅の理由、これからテントを張る場所を探していることを伝えた。「公園なら近くにあるわよ」と場所を教えてくれた。
美保さんは現在、美保さんのパートナーの“ぶうさん”こと、今田光弘(いまだみつひろ)さんと小値賀に住んでいる。 ぶうさんは8年前、小値賀町担い手公社(にないてこうしゃ)に申し込んだ。この担い手公社の下、2年間賃金をもらいながら農業のノウハウを教わり、小値賀で就農した(就農するには計5年かかるそうだ)。美保さんは、約3年前、小値賀に移住した。
美保さんは、パートナーのぶうさんさんと一緒に“自給自足的”な生活をしているとのことだった。
二人とも平塚出身。ぼくらは“自給自足”生活に興味心身。
ぶうさんは、自給自足や島暮らしに憧れ、小値賀で就農・移住を決めた。その背景には、ボーイスカウトがあるらしい。ぼく自身もボーイスカウトだった。
“ボーイスカウト”、“自給自足”、“島暮らし”と、これらキーワードは、ぼくの興味を更に沸かせた。今すぐにでも会ってみたい…
ちなみに、小値賀では、2,500円の漁業権を取得すると、個人が漁をすることができるそうで、“海の幸”自給自足生活スタイルもある。
この島では、食べることに困らない。海で鯵(アジ)が釣れたり、畑で野菜を採ったり、いろいろな食材がみんなにまわってくる。 しかし、光熱費や保険などを支払うための現金収入は必要不可欠なので、美保さんは市役所で働いている。現金は必要だが、「見方によっては、豊かな暮らし方」だ。
そんな生活スタイルに憧れている。
「おもしろそうですね。是非、お話を聞かせてください!可能でしたら、明日にでも伺わせて下さい」と、美保さんにお願いして、お互いの連絡先を交換した。
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五島列島 小値賀の“名物・結花子おじさん”と遭遇・・・ |
しかし、この島では、ソフトバンクの携帯がつながらないので、念のため、地図でぶうさんと美保さんの家の場所を教えてもらった。(ちなみに、この島では、ドコモ、AU、ソフトバンクの携帯電話がつながるが、ソフトバンクは、笛吹のフェリーターミナル付近でしかつながらない)
別れ際…「あっ!ちょっと待って!お酒飲める?」と質問される…どうやらぶうさん宅では、お酒が飲めることが重要のようだ。ぼくらもお酒が大好きなので、これについては全く問題なしだ。
※ということで、ぶうさん、美保さんとの楽しい田舎生活スタイルのお話しは、数日後のエピソードで紹介します。
「近くにきたら、『浜津(場所名)のぶうさん、もしくは今田さんの家はどこですか?』と聞けば、その辺の人たちが場所を教えてくれるわよ」と美保さんから言われ、ぼくらは今夜、テントを張れる場所を探しに、歩き続けた。
この後、“警察官”との出会いがぼくらを待ちうけていた(続く)
<次回のエピソード 『day 86.3 “交番”でテント泊交渉… 五島列島の小値賀で 成立なるか…!?』>
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