2011年2月4日(金) – 前回の話しに続き、ぼくらは現在、五島列島・最北端の島宇久島(うくじま)にいる。
3日前の夕方ごろ、ここに到着したとき、福岡県からの移住者 重村重信さんと出会い、ありがたいことに彼から二泊の“お泊りオファー”をいただいた。酒屋「八番」と「エトワール」を営む畠中さん家族を紹介いただき、お風呂に入れさせてもらった。五島列島も寒い冬なのに、この宇久島でもぼくらは温かい人たちに囲まれている。今晩、ぼくらは畠中絵美さん宅に泊まらせてもらう予定。
歩いているときに、宇久は、“牛の島”であることについても知る(こちら)
その翌日となる宇久島3日目の今日、「エトワール」の畠中絵美さんから宇久町観光協会へ行くことを勧められた。既に島の観光スポット散策は終わったのだが、何らか新しい発見があるかもしれないと思い、観光協会へ向かった。そして今…観光協会の人たちと話しているところ。
観光協会は、役場と緊密に連携をとっているが、役場・観光課の一組織ではなく、民間の観光の案内場所。佐世保市の補助金で運営している。通常、港や駅のターミナル内にあるが、宇久平ターミナルにはスペースがなかったので、行政センター内に事務所を設置しているそうだ。
ちなみに、出勤時間は、8:30~17:15。
前回までのあらすじは、ざっとこんな感じである。
では、<day 85.2>の内容に入ろう…
さて、観光協会で親切にいろいろと教えてくれたのは、宇久島出身で協会の“ボス”福井樹夫(ふくい みきお)さん、埼玉出身の猪鼻聡(いのはな さとし)さん、佐世保出身の木山憲太郎(きやま けんたろう)さんたち。
久しぶりに、田舎で…おそらくアラサーと思われる二人に出会った。
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五島列島・宇久島(長崎県) 埼玉から宇久へ移住した猪鼻聡(いのはな さとし)さんがここへ来た理由は… |
今回、ぼくらと同じ首都圏出身で、田舎に移住した人と出会うことは、旅5ヶ月目にして2人目。1人目は、能登(石川県)の狼煙(のろし)の後藤佑介さんだったが、後藤さんとは数分しか話せなかったので、首都圏出身者と出会うことは今回が「初めて」と言ってもいいぐらいだ。(狼煙の話はこちら)
ある程度“都会な田舎”には、都会出身の移住者はいるかと思うが、ぼくらが行く田舎ではそう滅多に出会うことはない。
“五島列島”は、ある程度知られている。「都会からの移住者って沢山いそうじゃない?」と思うかもしれないが、“旅行者”ばかり。しかも、この季節、旅行者らしき人を一人も見かけていない。暖かい季節でないと、旅行者も滅多にこないのだろう。
「田舎に住みたいな~」と思う人が多いかもしれないが、実際移住する人は少ないようだ。
「猪鼻さんはなぜ…埼玉から1,300キロ以上も離れた宇久島に移住したのだろか…」「なぜ観光協会で働いているのだろうか…」「宇久島に移住する前はどんなことをしていたのだろうか…」など、出身地が近いこともあり猪鼻さんのライフスタイルには興味津々なぼく。
福井さんは「宇久島の観光を活性化させるためには、客観的/外部からの新鮮な視点で宇久島を“覗いて”もらったほうが、新たな観光資源を発掘でき、島外に受けそうな新たな観光活動を企画・展開することができる」と考え、島外出身の猪鼻さんと木山さんに声をかけたそうだ。客観的な視点により、島を活性化することが狙い。
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五島列島・宇久島(長崎県) 宇久町観光協会で働く猪鼻聡さん(左)と木山憲太郎さん |
木山さんは長崎県佐世保出身。2010年8月に宇久島へ来て、観光協会で仕事を始めた。観光協会勤務前は、ハウステンボスで働いていたそうだ。
猪鼻さんは埼玉出身。北里大学で2年から6年生までの在学期間中、青森県の十和田に住み、そこで獣医師の資格を取り、卒業した。その後、農林水産省に就職。半端ない仕事量などに疑問を感じ、職場を離れ、数年、海外などを旅して過ごした。
無料の観光ツアーがないことがわかり、しばらくすると、結花は「行こっか」と言うが… 猪鼻さんはぼくらと同じ首都圏からの移住者。もう少し話しを聞きたい。猪鼻さんと話しを続ける
猪鼻さんは、農林水産省で、家畜の口蹄疫対策などを担当。その後、仕事を離れしばらく旅をしてリフレッシュ。猪鼻さんも旅をしていたそうだ。野宿は、お寺、神社、お墓が静かで良いという。
「人の目を気にしたら、テントを張ることができないね!」と結花は勢いよく話し、自慢口調。確かにそのとおりなのだが… 結花はちょっとした音で、「ねぇ、誰、何の音かな」と目を大きくして、ぼくを揺らして起こす。まぁ、そりゃそうか…そんな慣れてないわけだから無理もないか…
人前では強そうに見せる…それは得意なのだが…実際はそうでもなかったりする…
まぁ、そんなトピックはいずれ別途話そう…
猪鼻さんの話しに戻る。
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五島列島・宇久島(長崎県) 宇久町観光協会で働く猪鼻聡さん(一番右) 宇久に来てまだ数カ月… ここへ来た理由は… |
そんなある日、猪鼻さんは福井さんからタイミングよく「宇久に来てみないか」と誘われた。福井さんから声がかかったとき、「抵抗を感じなかった。それを自分の人生の一時として抵抗なく受け入れることができた」と話す。タイミングを猪鼻さんは、すんなりと受け入れた。ぼくは純粋に、シンプルで良い理由だと思う。遠く離れた島…そう簡単ではなかったと思うが、そこまで複雑に考えることなく、タイミング…抵抗を感じなかったから、やってみるか…と受け入れた。
“今を生きてみる”って感じだろうか。
何かを始めるときって、“タイミング”、“偶然”、“きっかけ”など何らかの“つながり”で始まることが多いのではないだろうか。だけど…「え?!仕事どうするの?」「仕事あるの?」「沢山稼げるの?!」など…これまでぼくらはそう教えられて生きてきた…複雑に考え込んでしまい、進みたい道、行きたい道へと進めなくなる。そう教えられた世界から出て、“ちょっとだけ”“ほんの数年”だけでも“お出かけ”してもいいのでは?
将来どうなるかわからない人生…将来の予想だけが先行して…生きて進む。“タイミング”など、それだけを理由に“ちょっと違う道”へと進むのもいいんじゃないだろうか…。
また、猪鼻さんは昔から地域振興には興味があったそうだ。田舎が廃れていくなか、このまま地方がなくなっていくことがもったいないと感じたそうだ。
そして、2010年12月から、宇久島で働くことになった。
ぼくらは、猪鼻さんと、スーパーでお弁当を買って、海辺で昼ごはんを食べた。昼食中も、彼の話しを聞こうとする…
昼を食べているときに、猪鼻さんが話してくれたおじいちゃん漁師の漂流事件が印象に残っている。
一ヶ月前の2011年1月、宇久島では「島全体が一人のおじいちゃん漁師を助けようとする」“熱い”出来事があったそうだ。
一人のおじいちゃん漁師が海に出た。帰港予定は昼。しかし、昼の帰港予定どころか、夕方になっても戻ってこない。
翌日、島全体、村全体、役場の皆、島全員がおじいちゃん漁師を探しにいったそうだ。しかし、見つからず…漁師は山口県で見つかった。船のエンジンはかかったまま、漁の最中、漁師は脳卒中で倒れ、約200キロ離れた山口県下関で座礁(ざしょう)しているのが発見された。無事救助され、下関の病院で入院したそうだ。
仕事よりも、漂流した島の漁師を見つけることに、島全体で取り組む。「そんなシーン…都会で仕事をしていたとき見たことなかったよね…。役場の職員が行政センターから出て行ったとき、建物空っぽにして、仕事はどうするの…?と一瞬考えてしまった。一方、前職場では…自殺の事件もあったが、みんな、いつもと同じように仕事をしていた…」と話す。
そんな島の光景が印象深かったそうだ。
少し極端な例かもしれないが、人を家族のように大切にしようとする環境が島や田舎にはある。(続く)
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五島列島・宇久島(長崎県) 宇久町観光協会で働く猪鼻聡さん(一番右) 印象に残った おじいちゃん漁師の話しをしてくれた |
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