2011年2月3日(木) – さて、ぼくら田舎を駆け巡るバックパッカーは現在、五島列島(長崎県)最北端に位置する宇久島(うくじま)にいる。(前回のお話しはこちら)
人口約2,700人の島。1965年(昭和40年)には、約9,500人いたそうだ。
昨晩19:00ごろ、宇久島に到着。遅い時間帯だったが、港付近を散策しているときに、福岡県から宇久島に移住した重村重信さんと出会った。
「うちの畳部屋を貸してあげるから泊まっていいよ~」という“運び”になり、大変ありがたいことに重村さんの家で1泊お世話になった。
九州の人たちは…本当に旅人に優しい。みんな、実に“フレンドリー”である。
そして、これで、4日連続のバックパッカーによる民泊となる。
今朝から、重村さんが宇久島を案内いただけるとのことで、8:00頃、重村さん宅を出て、車で宇久島の景色が良いところや観光スポットを案内していただいた。

長崎県 五島列島 最北端の宇久島 早朝から重村重信さんに宇久島を案内いただいた。昨晩、重森さんと出会えたことに感謝。夜の暗い中、どでかいバックパックを担いだぼくらを泊めてくれた。大瀬戸でも夜の出会いがきっかけで“お泊りオファー”をいただいた。よく考えれば炭鉱の島 池島でも“お泊りオファー”をいただいたのは夜だったなぁ。
まず向かった先は、宇久島の東側に位置するスゲ浜海水浴場、大浜キャンプ場、大浜海水浴場あたり。宇久島の海は透き通っていて…半端なく…最高に綺麗だった。綺麗な海によくある…エメラルド色…である。
そして、話しはガラッと変わり、縄文遺跡…宇久島では、縄文遺跡も発見されている。
出てきてしまった…このトピックだ。ぼくら最も疑問が多く一番好きな時代である。
青森の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)でも驚かされたが、“縄文”と聞くと、その時代の技術には驚かされる。現代技術を活用しない時代に…「なぜこの時代に!こんなことができたのか!」という疑問が多すぎる時代なのである。
約2,000年前のものと思われる遺体を入れていた壺棺(つぼかん)土器、2,000年前のものと思われる死体や遺体を葬った場所/墓地の遺跡「支石墓(しせきぼ)」、人骨と石剣(せっけん)が港近くの「宇久松原遺跡」から、宇久島の東に位置する「長崎鼻遺跡(ながさきばないせき)」からは約5,000年~6,000年前と思われる、指で描かれたような曲線や直線を組み合わせた模様の「阿高式系土器」の破片などが発見されている。
これら宇久松原遺跡は1872年(明治5年)に発見され、発見された遺跡は現在、宇久島資料館(開館時間:平日9:00~17:00、料金無料、Tel. 0959-57-3311、長崎県佐世保市宇久町平2386番地)で展示されている。
ちなみに、この支石墓は、朝鮮半島が起源となっている墓地型で、日本では、長崎県、佐賀県、福岡県を中心に発見され、五島列島では、宇久松原遺跡や小値賀(おぢか)の神ノ崎遺跡のみで発見されているそうだ。
まず、縄文遺跡が発見されたことから、そんな昔から人がこの島にいたことがわかったわけだが…
一体全体…当時の人たちは、どのようにして、ここまで来たのだろうか。宇久島は、佐世保から沖合約60~70kmも離れている。
縄文時代の人たちは…筏(いかだ)で渡ってきたのか?縄文関連の遺跡ではイヌガヤ、ムクノキ、クリ、カヤの木などを刳り抜いて造った船「丸木舟(まるきぶね)」が発見されている。
しかし、丸木舟で、60~70キロの距離ある島へ海を渡って行くことはかなり厳しいと思われる。まぁ、実際やってみないとわからないが…。現代あるエンジン付きの高速船で2~3時間もかかる島だ。
そんな疑問より先に、どうしてここに島があることを知っていたのか…
しかも、海が荒れていたらどうしたつもりだったのだろうか?衛星技術もない。天気予報でさえ、把握できなかったはず。
それとも、一部の縄文人類は、宇久島から生り、そこで生まれ育ち、「この島以外、他の世界は存在しない」と考え、宇久島以外の場所へは行ったことがなかったのだろうか。
っと考えると、人類 人はそれぞれ、ばらばらな場所で、形作られ、生まれてきたのだろうか…というまたまた余計な疑問がでてくる。
もしくは、天気が良い時に、九州本土の佐世保の山から、遠くを眺めていたら、島が見えたから、行ってみた、というくだりだろうか。そう考えると、この疑問は解けていくかもしれない。佐世保からある島へ行き、その先にまたさらに島が見えたので丸木舟で向かった。
そんな感じで最終的に宇久島へと辿り着いたと考えられるか…
引き続き…大浜キャンプ場や大浜海水浴場へ行きつつも考え続けるぼくの縄文時代への疑問…
縄文時代の技術というのはどこまで進化していたのだろうか。
ぼくらの時代は、なんでも揃っていて…「もうこれ以上の技術や製品って必要なのだろうか?これ以上、ぼくらは何を必要としているのだろうか」と思ってしまうぐらいだ。
今の時代と比較すると、縄文時代には、石、木、水、土、葉っぱぐらいしか揃っていないだろう…
それで人生を過ごし、あらゆるものをシンプルに開発して、活用してきた。当時に遡って冒険したいぐらいだ。
すごい“疑問な時代”である。(続きはこちら)
<前回のストーリー『day 83.3 田舎バックパッカー、4日連続の“お泊りオファー”~』>
<次回のストーリー 『day 84.1 長崎県 宇久島に移住すると楽しめる“磯漁” ~ 鮑、海栗、サザエを磯で ~』>
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宇久島 大浜海水浴場は、日本で一番美しいビーチだと僕は思います。沖縄や九州・本州各地の海水浴場に行きましたが、商業施設や障害物のない天然のビーチはここだけです。
確かに…ここには海と砂以外、なにもありませんでした。<br /><br />ぼくは鎌倉出身ですが、鎌倉のように「海の家」が並ぶ、ビーチとは全く違いました。<br /><br />宇久島のビーチは、自然…ありのままのビーチであり続けるといいですね。