2011年1月31日(月) – さて、少し炭鉱の具体的な話しだ…
採炭された石炭は、ベルトコンベアなど様々な運搬技術で島の集荷場所に運ばれる。
主に、全国の火力発電所、製鉄所、セメント工場などで使用されていた。ちなみに、石炭運搬の積込能力は毎時500トン、5,000トンで石炭運船に積込が完了するまでに約10時間かかっていたそうだ。
定員81名・最大運転速度毎秒10mの炭鉱の“巻き上げ機”(地下へのエレベーター)は、地下721m・海面下650mの距離を、約100秒で運行していた。
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長崎県 池島 マンベルト |
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長崎県 池島炭鉱 高速人車(じんしゃ) |
その後、炭鉱坑道5.6kmを高速人車が運行。高速人車は定員98名、最高時速50kmで動く。採炭区域までは“マンベルト”(人を乗せるベルトコンベア)が設置されていて、毎分100mで運行するなど、坑内での人員輸送の技術も進化していった。まさに地下の迷路だ…
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長崎県 池島炭鉱 ドラムカッターで採炭切羽…炭鉱を掘る…掘る… |
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長崎県 池島 掘る技術…ドラムカッターも進化する |
採炭機はドラムカッターを使用する完全機械式採炭方となっている。1日最大4,000~8,000トンの原炭を生産した。運搬用列車の石炭運搬量は約130トン、3列車が稼働していた。
ベルトコンベアなどを安全に運転するために、集中監視室で、テレビ監視、遠隔制御、ガス情報、人員輸送の運行情報をリアルタイムでモニター表示されるなど、安全にも万全を尽くしていた。1983年には、救護隊もつくった。
最盛期の1985年(昭和60年)には、出炭量が過去最高の153万トンを記録。閉山までの49年間の出炭量は約4453.7万トン、坑道延長は96kmだった。
ちなみに、1935年(昭和10年)三井松島は、松島の次に、松島の北部に位置する大島での開坑を始めたそうだ。1961年(昭和36年)大島坑内で発生するメタンガスを再利用した日本初の発電所(大島ガス発電所)が完成。
こんな大昔にメタンガスの再利用による発電があったとは…
これも驚きだった。
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長崎県 池島 大島のメタンガス発電所 日本初 |
で、こんな小さな池島だが、当時いくらぐらいもらっていたのだろうか?そんなことも聞いてみた。
当時、全盛期だったころ、採炭掘進担当が手取り60~70万円の給料。特に、先端で炭鉱を掘る採炭・掘進担当の給料が高かったそうだ。今でもすごい給料のように思えるが!当時でこの高額はすごいなぁ…
まさか、小さな池島でこんな大きな産業があったとは…驚きである。(続く)
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