2011年1月31日(月) – さて、どんどんまじめな話しになる。次は、池島炭鉱の歴史について。
海外の炭鉱でコンサル事業を展開する三井松島リソーシスの従業員は約30~40名。その他、池島には産業廃棄物のリサイクルをする池島アーバンマイン(2007年設立、従業員数は約80人)がある。アーバンマインでは、廃車となった自動車のパーツ、金属などを集めて再資源化している。産業廃棄物は、主に長崎県や周辺の県から届くそうだ。
三井松島リソーシスと池島アーバンマインは、三井松島産業株式会社(旧・松島炭鉱株式会社で、設立は1913年。会社発祥の地はこの名の通り長崎県の松島)のグループ会社。ちなみに、このスーパーPine(パイン)も三井松島産業の傘下。
1952年(昭和27年)に池島の炭鉱(海底)を掘り始めた。この時に近くの島“松島”から池島間の海底送電線も完成させ、徐々に炭鉱設備を整え、掘削(くっさく)を開始した。
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長崎県 池島 掘る技術が進化し、機械化が進む |
1958年、池島港も完成し、翌1959年(昭和34年)から石炭の出荷が開始された。労働力も人間の手から、マシンで炭鉱を掘り起こす“ドラムカッター”を導入、保安体制の整備も始めた。
この頃が、池島の炭鉱経済の急成長となる幕開けとなったのだ。人口も急増し、従業員アパート、発電所など、急ピッチでインフラ整備が開始された。1964年(昭和39年)、池島にスーパーマーケット「タマヤストアー」が開店。1965年(昭和40年)には、池島小学校や社宅も完備。1978年(昭和53年)までで1,200戸の社宅が建設された。
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長崎県 池島発電所と淡水化装置 |
1967年(昭和42年)には、台風到来の停電対策として、池島発電所を建設。発電所の排熱を利用して、池島海水淡水化装置/日本初の造水設備も完成。島内で安定した飲料水の確保もできるようになった。池島が日本で初めて、淡水化装置を導入していたなんて…
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長崎県 池島 賑わったアパートと島 |
最も多かった池島の人口は、1970年(昭和45年)頃で、約8,000人だったそうだ。また、最盛期、池島炭鉱の従業員は全盛期、2,400人だった。生徒は1,000人以上。
炭鉱の発展に伴い、島のインフラ整備は進み、1982年(昭和57年)ごろ、池島に病院も完備。総合的な治療はもちろん、入院もできるようになった。同年には、スーパーが拡大され、島であらゆるモノの購買が完結するようになった。当時、魚屋が2軒、肉屋が2軒あったそうだ。レジャー施設や道路も整備されてきた。釣り船も港に置かれ、船が豊かさのシンボルになっていた。その他、レジャーとして、池島ではボーリングが大人気だったそうだ。(続く)
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