2011-02 Backpacking Kyushu - 九州へのバックパッカー旅

day 80.2 長崎原爆資料館「核兵器を持っている世界のリーダーたちは資料館にある写真を見に来るべきだ」

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2011年1月30日(日) – 前回の話しに引き続き、ぼくらバックパッカー夫婦は、長崎原爆資料館のボランティアガイド「平和案内人」の浦川卓(うらかわ すぐる)さんに館内を案内していただいている最中。

ぼくらが質問ばかりするので、館内のガイドはいつもよりも長引いている様子…(前回の話しはこちら

Nagasaki Peace Park – Ground Zero of Nagasaki Atomic Bomb

長崎 平和公園内のモニュメント「原爆落下中心地地区・祈りのゾーン」

さて、原爆の“パワー”に関する案内に戻る。

爆心地から0キロにおける、爆風の風速は、毎秒440メートル。爆心地から1キロ離れたところで毎秒170メートル。ちなみに台風の風速は毎秒約40~50メートル。

爆心地の爆風は台風の約10倍、1キロ離れたところで、爆風は台風の約3倍に匹敵する。

inside of Atomic bomb peace museum in Nagasaki

長崎原爆資料館を見学中

ぼくらはあらゆる離島への定期船に乗り始めて、ようやく風速の感覚がわかるようになってきた。

風速が毎秒約17メートルになると船は大抵欠航になる。高知県にある四国の最南端にある沖の島行きの定期船で、風速17メートル/秒の船に一度乗ったが、半端ない揺れだった。

また、その日、強風の中、テントを張ったのだが、ぼくらの重いバックパック2つ(約30キロと約10キロの合計40キロ)を中に入れても、テントが若干動くほど。風がテントにぶつかってくる音で寝られないし、テントが壊れることを心配してしまう。

それをイメージすると、毎秒170メートルの半端なさがわかる。ぼくらのテントとバックパックは楽に吹き飛ばされる… 比較の例が微妙なところではあるが、最近ぼくらが体感した風速ということで、自身の例を挙げてみた。

Nagasaki Atomic Bomb Museum Atomic Bomb blast 爆風の検証 風速 170メートル

長崎原爆資料館 原爆の爆風について

ここには爆風の強さがわかるモノの展示もある。割れたガラスの破片が吹き飛び、木の内部に突き刺さるほどの爆風の力だ。33年間、ガラスの破片が突きささったまま、そのガラスを包み込んで大きくなった木が展示されている。杉本さんという人が、河川工事を行っていた場所で、ガラスが内部に入っていたこの木を見つけて回収し、家の花瓶の台として使っていたそうだ。

杉本さん自身、爆風により背中にガラスが突き刺さり、生活をしていたことから、杉本さんは、この木を“自分と同じ気持ちを持った木”として大切に保管していたが、しばらく経ち、杉本さんは、「多くの人に被爆にあったこの木を見てほしい」と、木を資料館に寄贈したそうだ。

Nagasaki Atomic Bomb Museum Atomic Bomb blast 爆風の検証 風速 170メートル

長崎原爆資料館 爆風で割れた飛んでいったガラスの破片が木に突き刺さり、そのまま大きくなった木

約30年かけて造られ、当時、東洋一素晴らしい教会と言われていた浦上天主堂も崩壊した。

その天主堂も原爆資料館内で、レプリカとして、再現されている。

天主堂は爆心地から500メートル離れた場所に建っていた。そこに立っていた銅像の鼻もかけて、どこかに吹き飛ばされた。この天主堂で、2人の神父、数十人の信者がお祈りをしていたそうだが、全員建物の下敷きになって亡くなった。

日本一キリスト教徒が多かった長崎県の浦上地区には、約12,000人の信者がいたそうだが、うち8,500人が原爆で亡くなった。

今は入れないそうだが浦上天主堂の「被爆マリア像」がある小聖堂の壁には、原爆で亡くなった3,600人の名前が刻まれているそうだ。



現在の長崎市の人口は45万人、うち45,000人がキリスト教信者。長崎市の人口約1割がキリスト教徒で、9割が仏教徒だそうだ。

ちなみに、もっと過去に振り返ると、長崎のほとんどの人々はキリスト教徒だったそうだ。1587年、豊臣秀吉の時代に、キリスト教が初めて弾圧された。1873年(明治6年)に、キリスト教禁止が撤廃され、再び宗教の自由が広がった。

また、浦川さんが卒業した城山小学校には1,500人の生徒がいたが、生き残ったのはわずか100人。

原爆により、今後75年間、長崎には草木も生えない不毛説が広がったが、電車は原爆投下同年11月に運行を再開。1955年(昭和30年)(戦後10年後)から、長崎の復興が着々と始まったそうだ。

次世代の人々にも原爆や戦争の悲劇、核兵器の恐ろしさを伝えようと、被爆者の人たちは、“平和活動”を続けている。その人たちの一部写真は、ここ資料館内に展示されている。

谷口稜曄(たにぐち すみてる)さんが被爆したのは、16歳のとき。郵便配達中、30メートルも吹き飛ばされ、熱線を浴びて背中に大火傷を負った。両親は「いつ死んでしまうのだろうか」と心配をしていたそうだが、1949年(昭和24年)に郵便局で復職した。2010年末にはアメリカで原爆に関する演説をしたそうだ。現在、被爆者協会の会長を務めている。

山口仙二(やまうち せんじ)さんが被爆したのは14歳のときだった。三菱長崎兵器製作所で仕事をしていた。何度も国連を訪問して、原爆の体験談を話したそうだ。現在、島原の老人ホームにいるとのことだった。

吉田勝二(よしだ かつじ)さんは、爆心地から850メートル離れた場所で被爆。ケロイドになり、13ヶ所の皮膚を移植して回復したが、耳の形だけは元に戻らなかったそうだ。2010年4月1日に肺がんのため死去した。ぼくらを約2時間も案内してくれたボランティアガイド「平和案内人」の浦川卓さんが彼の話しを引き継いだそうだ。被爆体験記を引き継ぐための継承部会も発足している。

Nagasaki Atomic Bomb Museum – Mr. Katsuji Yoshida suffered burns on the right side of his face

長崎原爆資料館 吉田勝二さん(当時14歳)

「被爆者の中でも、一番明るい人だった。吉田さんは毎年、8月の原爆に関する勉強会に必ず出席していた」と浦川さんは吉田さんとの思い出を振り返る。そして、毎回1時間20分ほど話して「我々のような、被爆者を二度と作らない。本当の平和がくることをお祈りしたいです」と締めくくっていたそうだ。

吉田さんは原爆投下から約20年後の1963年(昭和38年)ごろから、原爆の体験を大衆の前で話し始めたそうだ。被爆者は差別されることが多いため、吉田さんはしばらく自分を外に出さなかった。

当時、被爆に関する話しをすると、就職、結婚などで、不利になることが多々あった。

Nagasaki Atomic Bomb Museum – Atomic bomb survivor Mr. Katsuji Yoshida. His right face is all burned. His ear’s skin did not recover.

長崎原爆資料館 吉田勝二さん(当時14歳)皮膚手術前の写真。

吉田勝二さんは就職後、結婚して子どももいる。職種は営業。営業で自宅訪問をするのだが、玄関を開けた子どもは吉田さんの顔を見ると、家の中へ逃げて行くなど、被爆者が差別され苦労した時代があったそうだ。

また、爆心地(長崎市松山町171番地)の松山町では、300所帯、1,860人が生活していた。この松山町では、被爆しながらも唯一(当時)9歳の女の子1人だけが生き残った。彼女の名前は黒川幸子さん。当時、爆心地/家周辺から120メートル離れた防空壕にたまたまいたそうだ。

角尾晋(つのお すすむ)さんは、「入市被爆者」。長崎医科大学学長を務めていた角尾さんは会議のために、東京へ行った。東京からの帰り、被爆直後の広島を歩いて通過し、8月8日に長崎に戻った。そして、8月9日に医学部で被爆、8月22日に亡くなった。

Nagasaki Atomic Bomb Museum – A boy suffering from severe burns on all over his back

長崎原爆資料館 背中大火傷を負った谷口さん。

放射線により、発熱、嘔吐、下痢の症状が出た人たちの多くは、年内に亡くなったそうだ。症状は様々で、頭が小さく知能指数が劣る子どもも産まれ、若い人でも白内障になったり、白血病になった人も多かった。爆心地2キロ圏内にいた人たちは、被爆者健康手帳が交付され、医療費の支援を国から受け始めたそうだ。

日本にいた外国人で最も多かった被爆者は韓国人(約2万人)。

そこまでの戦争の悲劇を目の当たりにしても…

現在、世界中に、約23,000個の原子力爆弾があると言われている。

アメリカが約1万弱、ロシアが1万5000発(想定)、イギリスとフランスは100発。

兵器は無くならず、戦争は繰り返されている…

1982年4月26日、ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサが長崎原爆資料館を訪れたとき、「核兵器を持っている世界のリーダーたちは資料館にある写真を見に来るべきだ(“All the leaders of the nuclear States should come to Nagasaki to see this photograph”)」と言い残し、長崎を後にしたそうだ。

Nagasaki Atomic Bomb Museum – Numbers of Nuclear Weapons in the world

長崎原爆資料館 核弾頭保有数

軍事力という「力」「脅威」を、各国に対して見せつけ、お互いに“力”をぶつけ合わないと、あらゆる問題は解決しないのだろうか… それとも、この“力”のバランスが、ある意味、平和をつくるきっかけとなっているのだろうか。

兵器で攻撃し、人を殺すことにより、“憎しみ”が生まれる。親族などが殺され、憎しみをもった人たちが、また攻撃をする。そこで攻撃された国に、また更なる憎しみが生まれ反撃する。

これを繰り返していたら、“憎しみ”は絶えず、戦争も絶えない。「そんなシンプルな問題ではなく、簡単に解決できない」と思うかもしれないが、“力”を使わず常に平和的に話して、何事も進められないのだろうか。

平和案内人の浦川卓さんは約2時間、質問ばかりしていたぼくらを丁重に資料館の案内をしてくれた。

Nagasaki Atomic Bomb Museum Mr. Suguru Urakawa toured us the whole section in the museum

長崎原爆資料館 平和案内人の浦川卓さんと

原爆資料館の訪問後、ぼくらは平和公園に行った。ここには、平和を祈る国々が、長崎に寄贈した平和の象徴を意味する銅像が公園に展示されている。

さて、ぼくらはこれから、長崎県北部の西海(さいかい)方面へ向かう。

っと、その前に、朝から何も食べてないので、腹ごしらえをして…“出発準備”だ。(続きはこちら

<前回のストーリー 『day 80.1 “戦争の悲劇”を長崎原爆資料館で ~ 福岡県小倉を投下の予定地にしていたとは ~』>

<次回のストーリー 『day 80.3 長崎県大瀬戸町 暗闇での出会い』>

Nagasaki Atomic Bomb Museum – Human injuries caused by radiation; Atomic Bomb Cataract, Microcephaly, Leukemia

長崎原爆資料館 放射能による人体の影響 原爆白内障、小頭症、白血病 長期で症状が発生。

Nagasaki Atomic Bomb Museum

長崎原爆資料館 急性期の障害 長期で症状が発生

Nagasaki Peace Park – Peace Statue

長崎 平和公園 乙女の像 裏には「和平」の文字が刻まれている。

Nagasaki Peace Park – Gift from the US

長崎 平和公園:アメリカからの寄贈。

Nagasaki Peace Park – Gift from Argentina

長崎 平和公園 アルゼンチンからの寄贈。

Nagasaki Peace Park – Gift from Italy

長崎 平和公園:イタリアからの寄贈。

Nagasaki Peace Park – Gift from Holland

長崎 平和公園:オランダからの寄贈。

Nagasaki Peace Park – Gift from Brazil

長崎 平和公園: ブラジルからの寄贈。

Nagasaki Peace Park – Gift from Bulgaria

長崎 平和公園: ブルガリアからの寄贈。

Nagasaki Peace Park – Gift from Turkey

長崎 平和公園:トルコからの寄贈。

Nagasaki Atomic Bomb Museum – A Girl Hoping for Peaceful World

長崎原爆資料館前にある銅像。

Nagasaki Peace Park – Ground Zero of Nagasaki Atomic Bomb

長崎平和公園内のモニュメント「原爆落下中心地地区・祈りのゾーン」

<前回のストーリー 『day 80.1 “戦争の悲劇”を長崎原爆資料館で ~ 福岡県小倉を投下の予定地にしていたとは ~』>

<次回のストーリー 『day 80.3 長崎県大瀬戸町 暗闇での出会い』>

 

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1979年1月生まれ、東京生まれ鎌倉と米オレゴン育ち。鎌倉の中学校卒業後、オレゴン州の高校と大学を卒業。現在、石川県鳳珠郡穴水町岩車在住。ソニーやPR会社で広報業務に約10年間携わり、2010年10月、ライフスタイルの選択肢を増やすべく、日本の田舎/地方を中心に、テント・寝袋・自炊道具などを担いだバックパッカー旅を開始。以後2年半にわたり旅を続ける。「テント」ベースから、2012年5月以降は「バン」ベースのバックパッカーになりバンライフ開始。2013年5月、人口約100人の限界集落 能登半島・石川県穴水町岩車に移住。現在は、「田舎への旅」と「田舎でのライフスタイル」の二つを軸に、田舎旅やライフスタイルの情報発信、都市部の人たちが能登の暮らしを体感できる「“ざっくばらん”な田舎ライフスタイル体験」の提供を行なうほか、東京のスタートアップ/ベンチャー企業、移住先・能登や静岡県の中小企業の広報サポート、地域活性プロジェクトサポートにもリモートワークで従事。また、ブログやウェブ制作、写真、執筆活動なども行なっている。移住先で自宅がある岩車の隣の地区 穴水町川尻では、シェアハウス・サテライトオフィスなど多目的・多機能の「田舎バックパッカーハウス」、そこに併設する“住める駐車場”であり長期滞在可能な車中泊スポット「バンライフ・ステーション」も運営。現在、東京の“バンライフ”のCarstay(カーステイ)で広報責任者として関わりつつも、静岡県島田市で幻のきのこ“はなびらたけ”「ホホホタケ」を生産する大井川電機製作所、石川県輪島市では国産漆だけでアート作品をつくる“芯漆(しんしつ)”の山崖松花堂などの広報を担当する。移住先・石川県穴水町岩車で育てられた牡蠣の販売もサポートする。

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