2011年1月26日(水) – ぼくら田舎バックパッカーは現在、小呂島の小呂小中学校を見学中で、水木校長先生から島全般や島での教育に関する話を聞いているところ。
これから理科の山口哲也先生と学校の奥裏山にある“要塞”へと向かう。
小呂島にある要塞へ
小呂小中学校は、第二次世界大戦中、軍の宿舎として使われていた。
学校の校門横には軍道が続き、日本海側からのアメリカ軍の攻撃を撃退するために、砲台などが設置されていた“要塞”がある。
その場所には、二つの建物があり、一つは見張り台、その奥にあるものが砲台だ。
結局、一発も砲撃することなく終戦したそうだ。
大変ありがたいことに、理科の山口先生が、この旧・要塞へと連れて行ってくれることになった。
【福岡県 小呂島の要塞の上へ】
福岡県の離島での教員となると、玄界島(げんかいじま)か小呂島に絞られるそうだ。
山口先生は、2010年の教員アンケートで、「離島」の小学校での教職を希望し、小呂島にきたのだ。
小呂島に引っ越した後、島の家族との繋がりも大きくなってきた。先生も一住民として島民と触れ合う。
すると、漁師さん(生徒の親)から魚をもらったりする。そして学校で、「昨日、きみの両親から魚をもらって食べさせてもらったけど、すごく美味しかったよ!」と生徒に伝える。
シンプルな一言のように聞こえるが、漁師の子どもにとって、この一言は大きな「誇り」となっていくのだ。これも“漁師の夢”を抱く一つの背景だろう。
離島の学校の先生に聞く“都会と田舎の教育の違い”
都会と田舎の教育の違いについて聞いてみた。
都会の学校では、周りの目を気にしながら教育しなければいけない。
都会の場合、生徒の親の目を気にすることが多く、教科書どおり教えるばかりで、「理科の楽しさ」を伝える授業ができなくなってしまう。
小学生の生徒には、理科の“おもしろさ”や“楽しさ”を伝えることが重要だ。それは理科だけでなく、その他の科目にも言えることだろう。
なにに関しても、自分がやってみて「楽しい」と思わなければ、続けることは難しい。
仕事も同じだと思う。自分が“楽しい”と思わなければ続けることに疑問を感じ始める。
単純に、授業で学んだことを記憶するやり方だったら、楽しくない。(記憶することが楽しいと思えば、それはそれで楽しいのかもしれないが…)
【福岡県 小呂島の要塞の中はこのように何もなくなっている】
山口先生は、小呂島で初心に戻った。
先生として、「理科の楽しさを生徒に伝えなければ」と。小呂島に来た時に写真を始め、小呂島の“自然”を身近で感じられるような教え方も始めた。
その一例として、先生と生徒は、デジタルカメラを持って、島に飛ぶ野鳥の撮影をすることもある。
「カメラを持って島内を冒険して野鳥を撮影する」ことで、島の身近な“自然”と理科をつなげ、理科の“楽しさ”を膨らませる。
山口先生は小呂島に来てから、鳥に興味を持ち始め、鳥を撮り始めた。
学校内には、鳥の写真を掲示、鳥の写真ごとで鳴き声が聞こえる機材まで設置して、生徒が自身の島の自然について楽しく学べるようにしている。
鳥の写真の横には、丸いピンク色のセンサーシールが貼ってあり、それをペンのようなものでスキャンする/読み取ると、スピーカーから鳥の声が聞こえるのだ。
【福岡県 小呂島 小呂小中学校を見学中。“理科の楽しさ”を生徒に教えたいがために、様々な授業体験を展開している山口先生。鳥の野鳥をカメラで撮影し、身近な島の自然と理科をうまくつなげて、「理科の楽しさ」を子どもたちに伝えている】
【福岡県 小呂島の要塞。砲台跡。真ん中に砲台が置かれ、丸く回転するようになっている】
こんな理科の授業…学校の裏山を冒険し…“静かー”に鳥に近づき、鳥を撮影する…。想像するだけで、こんな授業に…参加したくなる。
シンプルな発想のように見えるかもしれないが、これで生徒が理科に感心をもって、“楽しく”理科を学ぶことができれば、生徒が理科の授業に入りこむ良いスタートになるのではないだろうか。
その他、山口先生は、学校のホームページ作成も担当している。<続きはこちら>
< 前回のストーリー 『day 76.1 福岡県 小呂島 子どもたちの“漁師への想いと夢” “地域密着型”の先生たち 』>
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