2010年11月12日(金) – 田舎バックパッカー夫婦は、伊吹島(いぶきじま)の旧・伊吹小学校出発後、伊吹幼稚園の建物を活用し、島の人々が作った伊吹民俗資料館へと向かった。
【伊吹島 伊吹小学校前の合田商店】
【伊吹島 民族資料館 島の歴史、過去使われていた民家の道具(農具、漁具など)、文書資料などが展示されている】
資料館の入場は無料。資料館には、漁具や民具、ぼくらには古くて読めない文書資料などが展示され、伊吹島の歴史やライフスタイルがこの資料館に行けば、ざっとわかる。
【伊吹島 民族資料館内】
【伊吹島 民族資料館内】
【伊吹島 民族資料館内】
【伊吹島 民族資料館内 伊吹島と言えば…】
【伊吹島 民族資料館内 伊吹島と言えば、イリコ(煮干し)】
伊吹島の人口
島の人口は現在、減少傾向にある。昭和31年の全盛期には、約4,500人弱の人口だったが、それ以降、1957年から減少傾向に転じた。
平成17年には、1,000人をきってしまった。やはり、「田舎/地方には仕事がない」ことが原因となっているのだろう。
島の人々も親切そうな人たちばかりだし…こんなに良さそうな島なのに、空き家だらけにするのは、もったいない…と思ってしまう
【伊吹島 民族資料館内 伊吹島の世帯数・人口の推移(1872年~1990年)】
【伊吹島 人口の減少をグラフで見る。小さな島々の人口は、同じように人口が減少していると思われる】
この資料館にもイリコに関する情報が多く載っている。
島内では、「イリコの伊吹島」ブランドを強化しようと、ポスターが多くの場所に張られ、どこに行っても、「イリコ」を見かける。
資料を読んで知った話だが、島には、約1万年前の石器や縄文、弥生土器などが出土したことから、かなり古くから人がいたと思われているそうだ。
伊吹島の名前の由来は?
島周辺の海底から泡が吹き出しているところがあり、島の人たちが「大地が息を吹いている」と思われたことから「息吹島」となり、最終的には「伊吹島」と呼ばれるようになったと言われている。
資料館のすぐ近くには、島で一番大きい「平井井戸」(通称ヒラヤの井戸)がある。島には湧水がない。
江戸時代、寛永15年(1638年)、島民は干ばつに苦しみ、丸亀藩の援助でできた井戸。約300年間、島民に水を供給した。
昭和48年(1973年)、簡易水道の改良事業の完成以来、この井戸は中継槽として使用されているそうだ。
その後、昭和59年(1984年)5月、室本町から海底送水管の敷設により、島内に水道がひかれた。
【伊吹島 平井井戸の由来】
電気は昭和42年(1967年)までは自家発電。昭和42年10月から、海底送電線による送電が開始され、水産加工業の発展で電力需要が増し、昭和63年(1988年)に海底送電線を増設した。
【伊吹島 電気導入記念】
また、今では県道工事のため、解体されたが、産後約1カ月間、産婦が新生児とともに家を離れて集団で暮らす伊吹産院跡「出部屋(でべや)」があるそうだ。<続きはこちら>
<前回のストーリー 『day 26.2 香川県 旧・伊吹小学校で懐かしい小学校の雰囲気…』>
<次回のストーリー 『day 26.4 香川県 伊吹小中学校の校門前で、『伊吹島のお母さん』藤代さんと“怪しい”ぼくらバックパッカーの出会い』>
【伊吹島 伊吹小学校前の合田商店(ごうだしょうてん)の可愛い犬】
ぼくがバックパッカー、バンライフ、田舎暮らしを始めた理由 ● 田舎へのバックパッカー旅の背景『ぼくの人生 これでいいのか』の自問自答 満員電車から始まる毎日からどこへ?鎌倉、会社勤務生活に終止符を打った理由 |
【お知らせ】『田舎バックパッカーハウス』をオープン!日本初の“住める駐車場” 能登半島にある小さな田舎町<石川県穴水町川尻>にシェアハウスとオフィス、コワーキングスペース、そして、住める駐車場・長期間滞在可能な車中泊スポット「バンライフ・ステーション」も! |
【お知らせ】牡蠣<かき>販売のサポート開始! 水揚げ直後の牡蠣<かき>があなたの手元に最速翌日届く!能登半島の“奥” 石川県穴水町岩車の牡蠣<かき>を購入!鮮度抜群なので、牡蠣ならではの臭みなし!ぜひぜひ、ご注文くださいね!^^ |
この記事へのコメントはありません。