2010年11月6日(土) – さて、今月(2010年11月)から、ぼくら田舎バックパッカーの南下する旅がスタートする。
旅の目的地は基本、決めないが、ぼくが“聞いたことがない田舎/地方”が中心だ。
今日、大荷物のバックパックを背負ったぼくらは、横浜中華街での飲み会後、四国へ行くことを決め、鈍行列車に乗って、とりあえず南下する。このとき既に17:30をまわっていた。
【四国へ向かう前に、横浜中華街で結花の友だちたちに結婚を祝ってもらってた。(神奈川県横浜市)】
ぼくらは10月の旅で、長野県、石川県に行ったので、「さらに」南下したいと考えていた。
一応、10月の旅でも、南下するつもりだったが、茅野、八ヶ岳、能登半島など、ちょっとした寄り道に、ぼくらははまってしまったのだ。なので、「さらに」が適切な表現かは疑問なところだが、今夜、岐阜あたりを目指して、電車に乗る。
岐阜駅に到着1時間前、ぼくらが乗っていた電車に二人の外人が乗ってきた。またこのパターンだ。旅の初日、ぼくらは、どうも外国人を呼び寄せる。
10月の旅初日も、ぼくらは浜松で、夜中1:30過ぎに、ナイジェリア人から、話しかけられた。(そのときの話しはこちら)
電車は、満席に近い状態だったが、一部の席が空いている。ぼくらが座っていた4人席に、オーストラリア出身のスノボー好き20代の男が座った。「どこ出身?」「日本では何をしているの?」などと、いつもの会話が始まる。
すると、英語で話しているのに気づいた少し禿げぎみのカナダ人が、ぼくらの席に座ろうと寄ってくる。
この彼は40~50代。ぼくの隣の席に置いてあるどでかいバックパックをみて「You know JR rules!」(JRのルールを知ってるでしょー!)と偉そうな感じで話してくる。彼は少し酔っぱらい気味。
バックパックは25キロと重いので、正直どかすのが面倒。しかし、彼はぼくの荷物をどかして、ぼくらと一緒に座りたいのだ。彼と二人で、25キロの荷物を網棚に乗せる。
このカナダ人の彼は、岐阜で英語を教え、日本に移住してもう20年。日本人と結婚をしていると言う。
ぼくらの旅の理由について話し、今夜のぼくらの寝床を探すことも話すと、彼の教室に寝袋を敷いて、寝ても良いというオファーをくれた。
岐阜駅でテントを張れそうな公園などについてもアドバイスをくれた。が、前回の旅で一度、岐阜には行ったので、ぼくらは岐阜駅を数駅とおりすぎて、穂積駅まで行くことにする。
穂積駅周辺にあった公園を探した。やがて、駅から100メートルぐらい離れ、民家や町の電気屋さんが回りにある場所を見つけた。
まずは鈍行列車で、横浜から岐阜県の穂積駅へ。ここが今夜遅くに、ぼくらがテント泊したスポットだ。
あまり落ち着かないが、逆に人がまわりに居た方が安全という考え方もある。今夜、この公園にテントを張って寝た。いつもどおり、もちろんペグはなし。(続きはこちら)
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【表紙の写真: 鎌倉市役所に婚姻届けを出しに行く前。独身最後の記念撮影。(神奈川県鎌倉市)】
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