先月2月24日(土)~25日(日)に開催した「“ざっくばらん”な田舎ライフスタイル体験」の続き。のと里山空港 到着早々 向かった先は輪島・与呂見地区にある禅寺 龍昌寺(りゅうしょうじ)。(前回の田舎体験ストーリーはこちら)
この龍昌寺の敷地内には1つのコミュニティが確立していて、敷地内に建っている5軒の家に5世帯・14人が住み、みんなで、畑や田んぼ、冬には餅つき、味噌づくりなどをして、半自給自足暮らしをしている。風呂は薪がベースとなっていて、龍昌寺の共同スペースにある。
さて、薪ストーブを囲み、のんびりした後は座禅の時間。
静かに自分と自分を取り囲む“存在”にフォーカス。「自分の時間」に集中する。
「自分と向き合う時間」と対面する。忙しい日々、いまや、「自分の時間」に集中するのは貴重な時間…
しかし、座禅で、無心になることは不可能だ。静かになると、自分と向き合い始め、空っぽの頭の中が、あらゆる考え事でいっぱいになる。
しかし、頭を過る考え事や疑問などは全て自分が感じていること。それが頭の中を駆け巡るのはきっといいことで、それが、「自分との時間」ってやつなんだと思う。
ここで少しだけやり方を学べば、それはどこでも実践することができる。
いつも、みんなが体験しているとき、娘・結生は啓子さんと一緒にキッチンで過ごし、座禅に参加することはない。
結生はまだ4歳だが、1つのことに集中することが得意なときがある。「なんでも集中できる」っというわけではないが、例えばパズルの場合、完成するまでずっとパズルをしている。
座禅はどうだろうか?
「結生もやってみな」と、今回はみんなと一緒に座禅にチャレンジ。無理やりというわけではない。もし難しいようであれば、座禅をするみんなに迷惑かけることなく、2人でこの場を退くつもりだ。
結生の座禅はどんな感じだったのか、以下に綴る。
4歳の座禅はいかに?どのくらい耐えられるのか?
11:50ぐらいから瞑想時間が始まる。場所は龍昌寺の本堂にて。
驚くことに、結生は「とりあえずやってみるか」モードっぽい。
左隣には住職の和樹さん、右隣にははぶちゃんが座っている。
姿勢は右に曲りつつも、「座禅らしい」格好で座っている結生。首を右に、みんなの様子をたまに伺うが、基本、ずっと座っている。
結生の視野に入らにように、ぼくは5~6メートル後ろで結生の様子を伺う。万が一、泣き出したり、立ち上がったりしたら、みんなに迷惑が掛からないよう、外へと連れて行くつもりだった。
しかし…
10分が経過。結生は未だに座っている。眠くもなさそうだ。
ぼくは1人、結生含めみんなの様子を伺いつつも、写真を撮るなどして、静かに座っていた。
「きっとみんな、『結生ちゃんいつまで座禅に耐えられるかなぁ』とか考えているんだろうなぁ」と、ぼくは1人考え始める。
結生はかなりの落ち着き具合…
12:03少し辛そうだ。というか、悲しそうな感じで息を吸ったと思う。っと… あとあと考えると、そう勝手に結生を解釈しているのは、親としてのぼくだけかもしれないが。
結生は「みんな、長いこと目を閉じて座っているなぁ… みんな大丈夫かなぁ?」と心配しているのだろうか…
途中、結生は背筋を伸ばすなどしているが、結生の動きを伺う限り、起きている様子。
12:09、結生が後ろに座っているぼくの方に振り向くように首を動かした。
その瞬間、ぼくはあえて目を閉じる。
結生は、「あっ!父ちゃんも寝ている!」と思ったのか、ぼくに話しかけることなく、また壁へと振り返り、瞑想をはじめた。
たまに風でドアが震えている。風で障子が動く。
外からなにかの音楽が聞こえる。
25分が経過し、座禅が終了した。
みんなが動いた瞬間、結生は「終ったのぉ~」のような顔をして笑顔になっていた。
「結生、頑張ったね~」とぼく。結生にとっては、この座禅はどうだったのだろうか。大したことなかったのだろうか。
みんなは、「え!?結生ちゃんいたの?!」「すごい〜」と驚いていた。
田舎での自然との暮らしが、結生の集中力を高めているのだろうか…
座禅の静けさは結生にとっては“普通”なのだろうか…
久しぶりに行った龍昌寺。ここ龍昌寺で1人、落ち着いて過ごしたいと思い始めている自分。
近々、1人で行こうと思っている。
さて、昼食の時間だ (続きはこちら)
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