The Foreign Correspondents' Club of Japan - 外国人記者クラブ

能登の田舎から鎌倉…そして東京有楽町電気ビル 外国人記者クラブへ ~ 人生最大の転機の“きっかけ”をつくってくれた人 ハウクさんとの昼食 ~

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

東京都有楽町 – バックパッカーファミリーは久しぶりの休日で実家鎌倉に戻った。

そして今日…約35年前ぼくが1~2歳のころに出会ったドナルド・ハウクさんと東京で会った。

娘・結生は今月で2歳。ハウクさんと会うのは今回が初めて。ぼくと同じく、結生も2歳で初めてハウクさんと出会うことになる。

結花はのと鉄道での仕事があるため、一足先に飛行機で能登へ帰った。ハウクさん、ぼく、娘・結生、ぼくの母親、4人での昼食だ。ぼくはフリー/個人事業主なので、時間に融通が利く。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents' Club of Japanのメイン・バーで、ぼくと、ぼくの娘・結生の特別な“おじぃちゃん”ドナルド・ハウクさん

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japanのメイン・バーで、ぼくと、ぼくの娘・結生の特別な“おじぃちゃん”ドナルド・ハウクさん

向かったのは東京有楽町の「外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japan(プレスクラブ)」。ハウクさんがここの会員で、ランチ行きつけのレストランだ。

 

ドナルド・ハウク(Donald Houk)さんとは誰なのか…

以前、ドナルド・ハウク(Donald Houk)さんについて少しだけ書いたことがあったが(こちら)、ハウクさんはぼくが1~2歳のころから知っている友だちであり、特別な“おじいちゃん”的な存在だ。中川家の昔からの友人。

1932年9月、ハウクさんはアメリカ・オレゴン州レッドモンドで生まれた。1977年11月、ハウクさんはユニオン・パシフィック鉄道のスタッフとして来日し、日本に住み始めた。1988年までの31年間、ユニオン・パシフィックに勤務し退職。その後、1989年4月、川崎汽船に転職、現在も川崎汽船のスタッフとして、元気に働いている。

鎌倉のとある神社で、ハウクさんと...ぼく。ぼくはおそらく、2歳に近い年齢だろう。

鎌倉のとある神社でハウクさんと。ぼくはおそらく、2歳に近い年齢だろう。

ハウクさんと出会って、約35年が経つ。ハウクさんは当時48歳。ハウクさんはオレゴン州のUniversity of Oregon(オレゴン大学)を卒業しているので、ぼくの大先輩でもある。

趣味はファミリーツリー/先祖代々の家系をリサーチすること。先祖がヨーロッパのどの国から来たのか…もう何百年以上もさかのぼっているようだ。

今年83歳になったハウクさんに、2歳になった娘・結生を紹介。

ぼくが結生の年齢のとき、ぼくはハウクさんに出会ったわけで…なんか不思議な感じだ。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents' Club of Japanのメイン・バーで、娘・結生とハウクさん。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japanのメイン・バーで、娘・結生とハウクさん。

 

「人生の転機」のきっかけをくれたハウクさん

ハウクさんとぼくの父親が出会ってなければ、ぼくは15歳のころ、アメリカ・オレゴン州へ行っていなかっただろう。

ハウクさんとぼく。鎌倉にて。もう30年以上も前。こう見ると娘・結生とぼく...似てる...

ハウクさんとぼく。鎌倉にて。もう30年以上も前。こう見ると娘・結生とぼく…似てる…

オレゴン州での高校時代のホームステイ先・アベラさんもハウクさんからの紹介だ。通常、斡旋業者などを介して、留学先やホームステイ先を紹介してもらうことが多いかと思うが、ぼくの場合、すべて家族の友人によって渡米/留学が実現した。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents' Club of Japanのメイン・バーで、娘・結生とハウクさん。出会ったときから、人見知りなく楽しそうにハウクさんと遊ぶ結生。ピースをしているつもりの結生。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japanのメイン・バーで、娘・結生とハウクさん。出会ったときから、人見知りなく楽しそうにハウクさんと遊ぶ結生。ピースをしているつもりの結生。

また高校のころ、帰国の際、ビザ取得でトラブルがあり、彼がアメリカ大使館のトップに話してくれなければ、高校へ戻れなかったかもしれない。

最終的にはもちろん自分の決断が大きいわけだが、オレゴン州での学生体験がなければ、今の自分は確立していなかったと言いきれる。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents' Club of Japanのメイン・バーで、娘・結生とハウクさん。バルサミコ水をストローで飲む結生。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japanのメイン・バーで、娘・結生とハウクさん。バルサミコ水をストローで飲む結生。

オレゴン在住時代に培った精神力や行動力が今の自分に大きな影響をもたらしていることは言うまでもない。

会社生活を離れてまで田舎へのバックパッカー旅をすることはなかったし、当然ながら能登にも移住していなかっただろう。

ぼくの両親が最も大きな存在ではあるが、ハウクさんはぼくの“人生の転機”のきっかけをつくってくれた感謝すべき人であるわけだ。

中川家とハウクさん、そしてオレゴン留学でお世話になったAlbert Avellar(アルバート・アベラ)さん夫婦。母親の隣にいるのは、アベラさんの妻・Barbara(バーバラ)の弟・ルードウィッグ。彼らと出会わなければオレゴン留学は実現しなかった...それイコール今の自分は確立されていなかったわけだ。

中川家とハウクさん、そしてオレゴン留学でお世話になったAlbert Avellar(アルバート・アベラ)さん夫婦。母親の隣にいるのは、アベラさんの妻・Barbara(バーバラ)の弟・ルードウィッグ。彼らと出会わなければオレゴン留学は実現しなかった…それイコール今の自分は確立されていなかったわけだ。

 

外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japanについて

外国人記者クラブ(プレスクラブ)のメイン・バーは会員限定のレストラン。みんな、ビジネスやプライベートで活用している

有楽町駅中央西口から徒歩1分の有楽町電気ビル北館20階 最上階にある。眺めが良く、料理ももちろんおいしい。日本橋、銀座、汐留方面を一望することができ、上から電車も見える。

●営業時間:
・月〜金曜日 11時から22時半まで(ラスト・オーダーは22時)
・土曜日 11時から22時まで(ラスト・オーダーは21時)
・日曜日 11時から20時まで(ラスト・オーダーは19時半)
・祝祭日 11時から20時まで(ラスト・オーダーは19時半)
●住所 〒100-0006 東京都千代田区有楽町1-7-1有楽町電気ビル北館20階
●電話: 03-3211-3161
●Fax: 03-3211-3168
●URL: http://www.fccj.or.jp/2015-02-02-04-29-17/main-bar-jp.html

東京で会社生活を送っていたとき、このプレスクラブで、ハウクさんとちょくちょく会い、ランチやディナーを一緒にした。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents' Club of Japanのウエイターでパキスタン出身のハニフさん。「ぼくを見ると子どもいつも怖がるのに!」とハニフさん。帰る間際に、ハニフさんに抱っこしてもらったのだが、ハニフさんから全然離れようとしない結生だった。

東京有楽町の外国人記者クラブ/The Foreign Correspondents’ Club of Japanのウエイターでパキスタン出身のハニフさん。「ぼくを見ると子どもいつも怖がるのに!」とハニフさん。帰る間際に、ハニフさんに抱っこしてもらったのだが、ハニフさんから全然離れようとしない結生だった。

 

 

IKU - INAKA Backpacker

投稿者の記事一覧

1979年1月生まれ、東京生まれ鎌倉と米オレゴン育ち。鎌倉の中学校卒業後、オレゴン州の高校と大学を卒業。現在、石川県鳳珠郡穴水町岩車在住。ソニーやPR会社で広報業務に約10年間携わり、2010年10月、ライフスタイルの選択肢を増やすべく、日本の田舎/地方を中心に、テント・寝袋・自炊道具などを担いだバックパッカー旅を開始。以後2年半にわたり旅を続ける。「テント」ベースから、2012年5月以降は「バン」ベースのバックパッカーになりバンライフ開始。2013年5月、人口約100人の限界集落 能登半島・石川県穴水町岩車に移住。現在は、「田舎への旅」と「田舎でのライフスタイル」の二つを軸に、田舎旅やライフスタイルの情報発信、都市部の人たちが能登の暮らしを体感できる「“ざっくばらん”な田舎ライフスタイル体験」の提供を行なうほか、東京のスタートアップ/ベンチャー企業、移住先・能登や静岡県の中小企業の広報サポート、地域活性プロジェクトサポートにもリモートワークで従事。また、ブログやウェブ制作、写真、執筆活動なども行なっている。移住先で自宅がある岩車の隣の地区 穴水町川尻では、シェアハウス・サテライトオフィスなど多目的・多機能の「田舎バックパッカーハウス」、そこに併設する“住める駐車場”であり長期滞在可能な車中泊スポット「バンライフ・ステーション」も運営。現在、東京の“バンライフ”のCarstay(カーステイ)で広報責任者として関わりつつも、静岡県島田市で幻のきのこ“はなびらたけ”「ホホホタケ」を生産する大井川電機製作所、石川県輪島市では国産漆だけでアート作品をつくる“芯漆(しんしつ)”の山崖松花堂などの広報を担当する。移住先・石川県穴水町岩車で育てられた牡蠣の販売もサポートする。

関連記事

  1. 田舎へのバックパッカー旅の合間に…有楽町の外国人記者…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


VANLIFE特集 バン・車に暮らすとは?

VANLIFE Feature article バンライフ 特集 車上生活 車中生活

Pickup Post

Carstay カーステイ 経営合宿 management camp 【90枚の写真が語る】Carstayの経営合宿 穴水町 広報 気になる移住先 穴水町役場の監査結果に関するポイント day 14.3 奥能登一周中 穴水町の『田舎暮らし体験』とは?岩車の新田信明さん宅で急遽?! about-inaka-backpacker-house 能登半島・石川県穴水町の田舎暮らし体験シェアハウス、長期間 車中泊滞在“バンライフ移住”可能な“住める駐車場”『田舎バックパッカーハウス Station 1』について 読売新聞 バンライフ 職も住も バンで快適 長期滞在駐車場 穴水に 【メディア掲載】 読売新聞にCarstayとの取り組み「職も住も バンで快適 長期滞在駐車場 穴水に 気軽に田舎暮らし 人気」

日本初の住める駐車場・車中泊スポット「バンライフ・ステーション」併設型 シェアハウス in 能登・石川県穴水町

能登・石川県穴水町岩車の牡蠣<かき>販売サポート中!

Selling Oyster from Noto Anamizu Iwaguruma Ishikawa 能登 穴水町 岩車 牡蠣販売
ひろゆき,芯漆,漆器,輪島
  1. 石川県 子育て,石川県 移住,石川県 移住者,穴水町 子育て,穴水町 小学校,穴水町 川尻,穴水町 移住者,能登 田舎, 能登 移住者, 田舎 学校, 田舎 小学校,向洋小学校,ニワトコRVパーク,Carstay,バンタメ
  2. 石川県 子育て,石川県 移住,石川県 移住者,穴水町 子育て,穴水町 小学校,穴水町 川尻,穴水町 移住者,能登 田舎, 能登 移住者, 田舎 学校, 田舎 小学校,向洋小学校
  3. 人口流出で職人不足,穴水 中川生馬,能登 移住者
  4. carstay カーシェア,普通車,エニカ

車中泊スポットを探す!

vanlife RV station バンライフ 車中泊 車旅

Pickup Post

  1. 鎌倉 樹ガーデン 穴場 カフェ
  2. 旅の背景 理由 田舎旅 バックパッカー backpacker background in Japan
  3. 中津川

ランキング

人気の投稿とページ

一般人のテレビ出演、どれぐらいお金をもらえるのか?
【能登での田舎暮らし】冬季、日本海側、石川県や能登半島の農山漁村って雪すごいの?積もるの?
能登半島・石川県穴水町の田舎暮らし体験シェアハウス、長期間 車中泊滞在“バンライフ移住”可能な“住める駐車場”『田舎バックパッカーハウス Station 1』について
北陸の天気 ネガティブ思考“どんより”系にはお薦めできない
【田舎でITレビュー】DSDAスマホを使う理由
デルのノートパソコン 購入半年で三度目の修理、デルの最悪なサポート対応を暴露
day 51 高知県沖の島を散策 ~ 市原知佳さん勤務の「あったかふれあいセンター」 ~
能登と羽田空港間の眺めは最高...今月も東京へ飛んだ“わけ”&バックパッカーの一“私事”
day 30 愛媛県 興居島の萩野さんからもらった最高に美味しく甘いミカン
奥能登・穴水に移住看護師がオープン かき氷カフェ『ウミネコパーラー』
PAGE TOP