2011年4月4日(月) 熊本県天草郡苓北町 – この日の一日は、「味噌汁飲む?」の一声から始まった。富岡海水浴場でテント泊していたぼくら田舎バックパッカーに、そんな一声をかけてくれたのは、松野鈴代さんだ。(前回のお話しはこちら)
松野さん宅で、朝食を食べて、そろそろ鈴代さんの旦那さんと、近所の歯医者と病院へ行った北海道出身のハイエースの旅人 二階堂隆夫さんがやってくるころだった。
しばらくすると、まずは二階堂さんがやって来た。
どうやら、痛んでいた歯の神経を抜いたようだ。二階堂さんは麻酔がまだ抜けてないので、コーヒーだけ飲む。
昼になると、旦那さんの松野福承(まつの ふくつぐ)さんが漁港から戻ってきた。今日は底引き網の修復をしていたそうだ。夏の伊勢海老漁では網を岩場に引っ掛けて、壊してしまう。
今の時期、このあたりでは鰤(ぶり)が獲れる。
やはり漁師ならではなのだろうか、腕の筋肉が半端なく太い。とても60歳の体とは思えない体つきだ。
松野さんは水産専門の苓北高校卒業、22歳のころから日本水産に16年間勤務。アリューシャン列島周辺のベーリング海峡(ロシアとアメリカの間にある海峡)へ遠洋漁業に行くことが多かった。
当時、漁では約10カ月間出っぱなし。漁船は2万トン級の大きさ。中古の商船三井のタンカー船などを購入し、それを改造して漁船にすることが多かったそうだ。
ここからは会話ベースで話しを綴る。
松野さん: 約10年間は、アリューシャンへ行き続けていたかな。
スケソウダラ、明太、鮭(さけ)、鱒(ます)、鰈(かれい)、タラバガニなど、沢山いたよ。今は知らんけど。30数年前は沢山いた。
日本水産、大洋漁業(現在、マルハニチロ株式会社)、太平洋北部その縁海 ベーリング海やオホーツク海での漁業「北洋漁業」でめちゃくちゃ儲かったよ。この家もそうだ。「大洋」っていうのは(今では)「マルハ」で有名だな。
生馬: 1,000人乗りの船の大きさって“ざっくり”どのくらいの大きさなんですか?
松野さん: いや~2万トンの船を改造したって言ってたからね。長さ100メートルくらいはあったんじゃないですか?
今のコンテナ船くらいあるやろね。
俺たちが今乗ってる船は全部装備仕上げて、だいたい2,000万円くらい。
当時の船には作業員が700人。それに魚を捕る漁船に300人、合計1,000人体制ですよ。10カ月出っ放し。
それで3船団のうち一番小さい船団は戦時中にできた船「玉栄丸(ぎょくえいまる)」で、それは500人くらいだったかな…
それでもう1つの“しきしままる”船団(敷嶋丸?)は700人くらい。
1,000人の船は峰島丸(みねしままる)。
長期間、船の上だから、船内には料理人や散髪屋までいたよ。
彼らに「なんで船に乗ったの?」と聞くと、自分の店を持つための資金稼ぎだって。そういった人が沢山いたよ。給料が良いからね。
その時代、他の仕事は月給5万くらいだけど、漁師は月に15万円から20万円も稼いでたからね。それに、船の上だとお金を使わないから、貯まるしね。
生馬: 夜の寝床はどうしてたんですか?
松野さん: そりゃ、もう洋上でアンカつけて漂流するんだよ。陸から5.6マイル離れているからね。台風はこないけど暴風はくるよ。
そういう時でも、そこにいるしかないね。本当に怖いよ。一晩で、ロープは着氷で、でかくなるからね。だから一晩で2回起きて、大型の槌「掛け矢」で氷を取るんだよ。それがもう大変でね。
それをおろそかにした船は転覆するよ。もう絶対に助からないよ。もう寒いもの。何船も転覆してるよ。
昼疲れて夜寝入ってるでしょ?気付かないんだよぉ。
おれたちはニッスイの大きな船だからいいけど、下請けの会社の船は小さいし、強いわけではない。母船と共に出漁して母船に漁獲を売り渡す小型の船で、サケ、マス、カニ漁などを行う「独航船」のうち北海道から下請けの船が10隻くらいきてたもん。
対外事故で沈むのは小さい船だったね。
デッキに魚を積んでるでしょ。母船に魚を上げるにも順番があるから待ってなきゃいけないんだよ。
みんな寝ながら、待っているうちに、海が時化て、吹雪で着氷してね...
それに彼らは個人の船だから獲ったら獲った分がお金になるから“欲”がでるんだよね。100トンしか載せられない船なのに、150トンも200トンも載せたりするんだ。
二階堂さん: 北海道でも昔そういうのありました。10トンしか載せてはいけない船に20トンとか載せるんですよ。それで、重量チェックがあったりするんですよ。それでみんな海の上で漂流して、全然動かないんですよ。
「なんで動かないの」って聞いたら、「あそこで重量チェックしてるから動けないんだよ」って言うんだ。そのころ携帯がないから無線で情報が入ってね。
生馬: その1,000人規模の船って1日何トンくらい獲っていいんですか?
松野さん: それはアメリカの取り決めだよ。アリューシャン列島周辺はアメリカの海域だから。その10カ月の期間中に、獲れる漁獲量が決まってるんだ。
100万トンなら100万トンって決められるんだよ。
鱈(たら)、タラバガニなど魚種で何トンって決められてるからね。
だから、もし100万トン獲ったら、10カ月いなくても、そこから出て、日本へ帰らなければいけないんだよね。
ぼくたちはスケトウダラのすり身が目的だったから、タラバガニが沢山獲れても、鱈が多かったら、タラバガニは海に戻してしまうんだよ。
アメリカのオブザーバーが乗ってて、監視しているからね。
二階堂さん: もうタラバガニを海に戻すころには、既に死んでいるんじゃないですか?死んだ魚も海に返すんですか?そうだったら、もったいないなぁ。
生馬: 獲った魚はどのように保管するんですか?
松野さん: いやいや、鮮魚だよ。例えば、母船の処理能力が1日千トンだとするでしょ。それを115トン入るでかい網に全部移し替えて、船にぶら下げておく。その魚を中積船が1週間に1回取りにくるんだよ。
そのときに、中積船が、東京の晴海ふ頭から郵便物や食料とかも届けてくれるんだ。
中積船も3,000トンくらい載るんだよ。
おれたちは長崎を出発してベーリングまで12日間かかるんだけど。ルートは日本海から津軽抜けて函館とおる。
長崎からの出航だから、そのルートが近いんだ。
私は長崎支社のニッスイだったからね。北前船ってやつ。
生馬: アメリカにいくら払うんですかね。
松野さん: いや~知らないなぁ。アリューシャンでの漁の場合はアメリカ、北方領土はロシアに払ってるからね。
日本の領域にはスケソウダラで儲けるほどの漁獲高がないんじゃないですかね。
アメリカまでいかないと。アメリカはどちらかと言うと牛豚文化で、そこまで魚を食べないでしょ。だからちょうどいいんじゃないかな。
生馬: 国境越えて漁をする場合、その国にお金を払えば、どこで漁を行ってもいいんですか?
松野さん: いや、それはわからない。北方領土はロシアに払えば漁できるけど。韓国は知らない。そういえば、韓国船もベーリングにきてたよ。中国船はきていなかったかな。
生馬: 船の上で他国の船との交流はあるんですか?
松野さん: それはあるよ。お金ではなく、物々交換はするよ。でも、美味しいものなんて全然ないよ。酒もまずいし。唯一うまかったのはバターくらいだよ。
タバコもまずいし、ウォッカなんか飲めるかって。タバコなんて、こんな長くても1/3しか中身が入ってない。
そんなこんなで当時の遠洋漁業の話しを聞かせてもらった。東京では漁の話しを聞く機会なんてないし、実に興味深い話しだった。
最近では、水産高校に行っても、漁師になる子どもたは少ないそうだ。
遠洋漁業も行うそうだが、今では、1カ月出っ放しってことはないそうだ。
地元の水産高校には生徒が100人、漁業科や、普通科もあったり、すり身などの加工品を作る科もある。
ここは海と山の幸が豊富で、生活がしやすい。食べる分の魚はもちろん、海藻も豊かで、サザエ、ミナなどの貝、ウニなどもいる。そこまでひどく寒くもならない。
松野さんが作った刺繍アートの作品なども見せてもらった。漁師は仕掛けの網などを自身で編んだり、修復するなどしている。この刺繍の器用さは、漁師だからなのだろうか。約10日間で完成したそうだ。スゴイ作品だ。
富岡城にはビジターセンターがあり、そこにも、松野さんが作った龍の置物が飾ってあるそうだ。
この夜、松野さんのお誘いで、カラオケがあるスナックで飲みに行くことになった。
さて、これから、“ちょい”地元観光で、富岡城跡へと向かった。(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 102 熊本県天草郡苓北町で松野さん夫婦との出会い ~ 「味噌汁飲む?」から始まった豪勢な1日の始まり ~』>
<次回のストーリー 『day 102.2 熊本県天草郡苓北町の富岡城で“懐かしの”3D映像で天草の海中へ』>
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