2011年2月8日(火) – ぼくらは現在、五島列島 小値賀島(おぢかじま)にいる。
今日は雨。最近、雨が降っていなかったようで、「ブロッコリーの成長にはちょうど良い」とぶうさんは喜んでいた。ブロッコリーは一日で2センチも大きくなるそうだ。
昨晩…久々に飲みすぎて、少し気持ち悪い。まだ体にお酒が残っている。
しかも…昨晩…どうやって布団に入ったのか、あまり記憶がない。
そんな状態にありながらも、昨晩、自分で感じたこと、ぶうさん(今田光弘さん)や美保さんとの話しの中で自分で感じたことを、ぼくは細かくメモに残していた…(昨日の話しはこちらから)
今朝、野崎島(のざきじま)に行く予定だったが、起きると時間はなんと9:00前。時すでに遅し…野崎島への船は出航してしまった。
この朝、ぶうさんたちの暮らしが理想に“ちかい”かもしれない…と感じたことを、ぼくは結花に話した。理想だが、全てが同じスタイルなわけではない。ぼく自身、“ひねくれ”ているので、真似をすることはあまり好きではない…
昔ながらの暮らしと、現代で“必要と思う”テクノロジーを有効活用するライフスタイル。
また、ぼくは、専業農家になりたいわけではない。どこかへ移住した後、ある程度大きい家庭農園をして、自分たちが普段の生活で食べる野菜を育てたい。これまでやってきた広報関連や、書く仕事をなんらかの形で継続したいとも思っている。田舎旅も継続したい…
なんだそれ!と思うかもしれないが、移動/旅しながら、そんなことができたら嬉しいとも思う。いろいろなものを毎日発掘して体感することができる。
ぼくが理想としている暮らし方に近い人たちをここでまとめてみた。
これまで会った人たちで例えると:
・バックパッカー田舎旅 初期に出会った能登の穴水町(あなみずまち)の新田信明(にったのぶあき)さんのように、“山”や“海”の自然環境を活かす生活。家庭農園で自分の食材を育てる。“海の幸”も普段の食生活に取り入れたい。そして、自分に合った仕事をする。 (新田さんとの出会いはこちら。穴水での田舎体験暮らしに関する話しはこちらから)
・輪島の漆芸職人のスザーン・ロス(Suzanne Ross)さんのように、自分がやりたい仕事に没頭してマスターする。自身の住処に関しては、スザーンさんの場合、長年使用されていなかった牛小屋をアトリエに大改造して、再活用したこともおもしろい。(スザーンさんの話しはこちらから)
・ぶうさん(今田光弘さん)のように、先進的かつ現代の技術、古いモノで活用できるものを無駄なく、暮らしに活かして、自身の生活を組み立てる。薪生活も理想で、楽しそうだ。“自然と共に生きている”ことを普段の生活から感じられる暮らし。(ぶうさんの話しはこちらから)
自分たちが生きるために必要なお金をかせぐ。あとは可能な範囲で自給自足をする生活。たまに「こんなモノが欲しいなぁ」という欲に押され、生きるために必要のない“モノ”も欲しくなってしまうが…複雑な技術を使ったものは別として、ある程度のものは作ろうと思えば大体作れるわけで…そんなこれまでの“欲”を断ちたい。
そして、“古民家”をぼくらの家 兼 民泊やゲストハウスなどの宿泊施設にして、その傍ら、現地の案内、ユカのメイクやエステなどのサービスで追加するようなこともしていきたい。できたらスキューバもして、海底も案内したい。そして、田舎への旅も続け、田舎でのライフスタイルの発見や発信もしていきたい。
場所が見つかれば実現できると思っている。これが現時点でのぼくらの理想な生き方かもしれない…が…まだまだバックパッカー旅は続くので、これからも変化していくだろう。そんなことを考えつつ、周辺を歩いて散策する。
五島列島 小値賀 ブロッコリーのぶうさん(今田光弘さん)宅周辺を散策しながら、“理想な”ライフスタイルについて考えるバックパッカー夫婦 |
そして島でのライフスタイルは、ぼくらにとってどうだろうか…?
島内の移動は、地域が狭いから、あらゆる場所へのアクセスは便利かもしれない。島内、自転車を使えば基本、どこへでも行ける。生活環境も良さそうだ。
ただ、なにかあったときに、すぐに本土へ行くことができない。「島から本土へ行き、本土から島への帰り…往復2日は考えたほうが良いだろうなぁ~…」「船は結構大きかったけど、天候に左右されるのだろうか…」と考える。しかも、ぼくらはこれからも“移動型”や“旅”のことを考えている。本土とつながっていない離島でのライフスタイルは、ぼくらには合っていないのかもしれない…などなど…といろいろと真剣に考える。
これまで多くの島を巡ってきたが、ぶうさんと出会い、なぜか今になって本格的…真剣に“理想”を色々と考え始めてしまった。
そんな感じで、ぼくらにとっての島でのライフスタイルについて、考えたりしながら、ぶうさん宅周辺を散策。
五島列島 小値賀 ぶうさんの家の下のほうにある公園方面に向かった。川らしきものがあり、海とつながっている。これは海水なのか、川なのか…と考えならが、公園を探った。上流に行くと、水が湧き出ているような池らしいスポットがある |
ぼくは、ぶうさんから頼まれた薪割りをする。電気鋸(のこぎり)で長い木を短く切って、斧で割っていく。雨が降っていたので、止んだときに、ちょくちょくと薪割りをする。
薪割りをしていると、アメリカ・オレゴン州での高校時代のことを思い出す。
高校時代 オレゴンで住んでいた家。バスケットボールのリングもあった |
当時、学校から帰ってくると、冬の寒い時期用に、薪ストーブ(暖炉)用の薪割りを毎日していた。毎年春、夏ごろだったか…ホームステイ先家の前の庭には、大きな丸太が山積みにしてあった。しかし、その木は、薪ストーブ用に小さく割られていないので、斧を使って割らなければ使えない。
高校時代に住んでいた家の前に山積みになっていた丸太。薪ストーブサイズに薪割り作業を毎年していた。割っても割っても減らなかったけど…あと少しで終わる |
「どんだけ薪割りしても減らない…」と、これが中々大変な作業だった。
英語がわからず、人二倍以上の労力をかけて、宿題やテスト勉強をしなければいけないのに…と思いつつも、学校から戻った平日と週末の1~2時間、薪割りをしていた。
当時は、いつも「あー勉強しなきゃいけないのに…なんで薪割りなんてしなきゃいけないんだよ…」と、その頃は若干不貞腐れていた自分もいた反面、薪割り作業はこれまでやったことがなかったので“楽しんでいた自分”もいた。
高校時代 オレゴンで住んでいた家の薪ストーブ。ストーブの上には、クジラの置物が。クジラの中には水が入っていて、小さな穴から蒸気を噴射する |
毎年 夏、冬の寒さをしのぐために、薪ストーブで過ごせる分だけの、薪を割っていた。今、思えば、この“時”がなかったら今の自分はいなかったかもしれない。
振り返れば、そんな田舎的ライフスタイルをオレゴンで過ごしていたり、ボーイスカウトをしていたからこそ…今になって“自然と融合したライフスタイル”も取り入れることを潜在的に考えているのだろうか…と考える。日本で高校を過ごしていたら、“薪割り”なんて体験していなかっただろう…。ボーイスカウトでは何度もあったが、ぼくが住んでいた鎌倉の近所で、“薪で暖をとる”シーンなんてみたことがない。
しかも家の手伝いは、薪割りだけではなかった。
五島列島 小値賀で、高校時代のオレゴンでの生活を振り返る。奥にあるのがトウモロコシ畑(右側)、その左側には鶏小屋がある。これはホームステイ先の家の屋根から撮影した風景。屋根の上で本を読むこともあった |
家庭農園で、トウモロコシ、カボチャ、ズッキーニ、トマトなどの農作物も育てていた。鶏やウサギも飼っていた。ってことで…農作業や飼育を手伝っていた。
収穫作業は滅多にしなかったが、スプリンクラーを畑に設置していなかっため、ホースを持って、全てのトウモロコシに水をあげていたこともあった。畑の大きさは、35メートル×35メートルほど。別に楽しくない作業ではないのだが、とにかく時間がかかる。
そして、収穫が終わったら、収穫済みのトウモロコシの茎をどでかい鉈(なた)で刈り、根本を手で抜いていく作業もしていた。
オレゴンでのライフスタイル。トウモロコシ畑の横には鶏小屋があった |
当時のぼくは、これら畑や薪割り作業について、「勉強追いつかないよ…」と勉強への心配と、「まぁ大好きなテニスのための良い体力づくりのトレーニングになる」の2つしか考えていなかった。
オレゴンでのライフスタイル。高校時代 オレゴンで住んでいた家。“木”に囲まれた生活だった |
っと…ずらずらと思いながら、薪割りのポイントを結花ちゃんに教える。
斧の狙うところを、丸太の端に突き刺すと割りやすい。斧の重さを使って、振りかぶり、丸太の手前あたりに斧を入れると、そこから割れ目が入り割れやすくなる。丸太の真ん中に斧を入れると、斧が丸太に突き刺さった状態になり、斧が丸太から抜けなくなってしまうことがある。とくに大きな丸太の場合だ。
オレゴンでのライフスタイル。高校時代 オレゴンで住んでいた家の庭。犬(ミニチュアシュナウザー)にも囲まれていた。まだ産まれて数カ月の赤ちゃん4匹と |
これを高校3年間、寒い冬になる前、夏の終わりから秋にかけて、毎年行っていた。大学からホームステイ先の家族のもとへ戻った時も、手伝っていた記憶がある。
今思えば、これら“体験”は貴重で、そんな経験がなかったら、今の自分がいなかったかもしれない。
この“人生体験”をすることができる場を作ってくれた家族や、オレゴンの家族に感謝だ。
オレゴンでのライフスタイル。高校時代 オレゴンで住んでいた家の中庭で。ハンモックでくつろぐ日々も |
それにしても…ぶうさんの家の“テラス”/縁側(えんがわ)には、一日中、ぼーっとでき、なにもしてなくても、「暇」という感覚がない快適感がある。
結花は、ぶうさんの本棚にあった椎名誠さんの「あやしい探検隊アフリカ乱入」を読み始める。
この日の夕方、暗くなる前に、交番へ行き、自転車を返しに行った。交番に着くと、雨が激しく降り始めた。ドシャ降りだ…
傘を持っていたので、歩いて帰ろうとしたら、ぶうさんが交番まで車で迎えにきてくれた。小値賀に住む人たちは、本当に親切な人たちばかりだ。交番の野田さんも昨日の昼、わざわざ交番からぶうさんのところへ、自転車の空気を入れに来てくれた。
さて、この日、みんなに“島暮らしの大変なところ“について聞いてみた。 島での田舎暮らし…良い事ばかりではないはずだ。
子どものあきらくん(当時高校生)は「ありすぎてどこから話したらいいか」と、ニヤニヤして笑顔で話す。
…とは言いつつも、ぶうさん一家は、みんな、島暮らしが好きそうで…そんな大変さも明るくポジティブに解消していそうだった。
さて、どんな“大変なこと“があるのだろうか…
・夏になると湿気のせいで、あらゆるところにカビが生える。かなりジメジメするそうだ。
・ムカデなどの虫が出てくる。足が沢山ある虫を嫌う人は多い。まぁ、“虫の多さ”に関しては、自然が多い田舎であれば、共通して言えることだろう。これに耐えられないと、田舎での暮らしはできないかもしれない。
・食べ物や水道代が高い。例えば、バナナ1本80~90円と、果物が比較的高いそうだ。物価に関しては、ぼくらがこれまで行った島でも同じ状況だった。船で商品を運ぶ分、燃料など含め運送費がかかってしまい、モノの価格に燃料費が上乗せされる。
・レストラン/食堂が少ない。中華料理、ラーメン屋、パン屋などのレストランが少ない・全くないそうだ。「レストランがない/少ない」は仕方がないことだが、確かに、中華系やラーメンのように味が濃いものが食べたくなることもある。ぼくらもバックパッカー旅をしていて、時には味が濃いものが無性に食べたくなる。あれは“都会の食料中毒”というものだろうか…。あの「たま~にコーラを飲みたくなるとき…」「揚げ物を食べたくなるとき…」あるある。
“ジャンクフード“は体にそこまで良いものではないと知りながらも、都会から離れると、“濃い味”がたまに食べたくなるのだ。これまで何十年も住んでいた都会で付き合ってきた食材だ…そう簡単に体から抜くことは難しいのだろうか…
ちなみに、小値賀には映画館がないが、レンタルビデオ屋さんはあるそうだ。また、小値賀は、相撲でも有名だそうだ。
ぶうさんの今後の理想としては、漁業権を取得することも目指している。漁業権は一生もの。取得すれば、年中、魚を好きなだけ捕ることができ、さらなる自給自足へとつながる。ちなみに、小値賀での漁協権は約30万円。この漁業権は一般的に20万円から100万円と、場所によって費用が異なる。
五島列島 小値賀 今夜ご馳走になった魚。クロ(グレ)だったかな… |
夕飯は、ご近所さんからいただいた水菜、大根、岩ノリの味噌汁、魚、煮物、自家製「食べるラー油」をかけた冷ややっこなどをご馳走になった。
今夜は、飲みすぎず、明日起きられるように、早めに寝た。明日こそ…野崎島へ…(続きはこちら)
<前回のエピソード 『day 88.7 五島列島 小値賀島 自分のライフスタイルをプロデュースする… ブロッコリー農家とは…』>
<次回のエピソード 『day 90 400頭の鹿だけが住む五島列島野崎島へ ~無人島でのミステリアスな“船旅人”との出会い ~』>
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