2011年2月1日(火) –池島の雰囲気というのは…言葉で表現すると…(ぼくにとっては)“(良い意味で)なにも考えなくていい島”、“これまでの忙しい生活スタイルのことを忘れる島”、“探りたくなる島”だろうか…
長崎県 池島 信号もあるが、車や人通りがほとんど“ない”ので必要性が感じられない ぼくだったら、この信号で一時停止するのみで、ほぼ無視して通るだろう。 ここは周囲4kmの池島。最も多かった池島の人口は、1970年(昭和45年)頃で、 約8,000人だったそうだ。また、最盛期、池島炭鉱の従業員は全盛期、2,400人だった。 生徒は1,000人以上。 |
長崎県 池島出身の人たちがこのあたりに住んでいるそうだが、 実質住んでいるのは2軒のみ… |
長崎県 池島 スナック街の通りへ行く前に、池島出身の島民の人と出会った。 このあたりにはもう2軒の家にしか人が住んでいないそうだ。 |
長崎県 池島 スナック街の通りを散策…人の気配が全くない… |
長崎県 池島 スナック街の通りを散策中 |
長崎県 池島 「スナック道」 ここもやってないよね… |
長崎県 池島 スナックの通りにある…スナックっぽいお店 |
約7軒もスナックがあったところから、当時、島内全体が繁盛していたことが見受けられる。
長崎県 池島 スナック街にあった「旅館美松」…見たとおりもう廃業中 |
長崎県 池島 池島炭鉱の施設の周りには、 ボウボウに草が生い茂り、施設は古錆びてきている |
長崎県 池島 石炭を積んだ列車が通っていたと思われるレールが地面に。 注意書きは、日本語のほか、インドネシアやベトナムからの研修生向けに、 現地の言葉にも訳されていた |
長崎県 池島 池島炭鉱の施設 古錆びている 周囲4kmの小さな島に、大きな工場の施設 |
長崎県 池島 警察署が取り壊し。警察署も無くなってしまうようだ。 島はもちろん安全で、警察がいなくても問題ないかと思うが、 「今まであったもの…今まで必要だったものが無くなる」 というのは寂しい感じがする。 |
長崎県 池島 スナックの隣にある当時流行っていたボーリング場の入り口には、 「酔っている方は入らないでください」の張り紙があるが… スナックとボーリング場が隣接しているし、酔ってたら注意書き気にしなくなるだろうし… 「この注意には無理があるだろー」という感じ… 1978年(昭和53年)までで1,200戸の社宅が建設され、人口密度も日本一だった。 このボーリングが人気あったエンタテイメント施設だった |
長崎 池島 加山雄三さんや田中邦衛さんが出演していた 映画「フレッシュマン若大将」、「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」 世代が感じられる昔の映画ポスターが… |
長崎 池島 懐かしい映画「ミヨちゃんのためなら全員集合!!」の ポスター(高木ブー、いかりや長介、ザ・ドリフターズも主演) まぁ、「懐かしい」とは言っても…全く聞いたことない映画だ… |
多いときで一日80名の修学旅行生が池島に来るそうだ。池島炭鉱の観光ツアーの所要時間は、約2時間30分。ヘッドライトをつけて、炭鉱見学をする。生徒たちは池島に11:00ごろ到着し、14:17の船で帰るそうだ。翌日は神奈川県から学生が池島にくるそうだ。
長崎県 池島 かあちゃんの店の 脇山鈴子さんを迎えに来た“やんちゃな”犬2匹 |
長崎県 池島 池島炭鉱 施設 1日最大4,000~8,000トンの原炭を生産した。 運搬用列車の石炭運搬量は約130トン、3列車が稼働していた |
長崎県 池島 池島炭鉱 施設内にあった車と草の絡み合い… “車を鉢として活用してはどうだろうか…”という発想 大きな鉢ですなぁ~ |
長崎県 池島 これは…雀(スズメ)?頭の毛がずいぶん多いと思うけど… スポーツ刈りにでもした? |
長崎県 池島 池島炭鉱 施設 池島炭鉱は、九州最後の炭鉱。炭鉱の景気が最高だった時期、 池島の人口密度は日本一だったそうだ。 (※ちなみに国内最後の炭鉱は、2002年1月末に閉山した北海道釧路市の太平洋炭鉱) 最盛期の1985年(昭和60年)には、出炭量が過去最高の153万トンを記録。 閉山までの49年間の出炭量は約4453.7万トン、坑道延長は96kmだった。 |
長崎県 池島には「港ショッピングセンター」がある…マジックで書かれた看板 |
長崎県 池島「港ショッピングセンター」内…懐かしい感じのポスターが壁にずらり |
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