2011年1月31日(月) – ぼくらは今、長崎県の炭鉱で栄えた池島にいる。池島は、神浦港や大瀬戸港から沖合約7kmにある周囲4kmの小さな島だ。
さて、引き続き、池島での出来事について、ここに綴る。
「長崎市設池島総合食料小売センター」の中に入ると、ストーブとソファーが置いてある。まず…気軽に座って交流できるこの“ざっくばらんな”感じがいい。これはぼくが好きな感じのスタイルである。
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長崎県 池島 「長崎市設池島総合食料小売センター」のざっくばらんな雰囲気が良いね |
そこにいたスーパーPine(パイン)店長の荒川さんと尾崎さんに、池島全般について聞いてみた。※今夜から翌日にかけて、池島アーバンマインのIさん、三井松島リソーシスの若林さん、池島中央会館 管理人の木山利昭さんたちと出会い、もろもろ島の産業について、聞いたこともここにまとめる。みんな元炭鉱マンだ。中央会館では、島紹介の展示とビデオも見させていただいた。
池島炭鉱は、九州最後の炭鉱。炭鉱の景気が最高だった時期、池島の人口密度は日本一だったそうだ。(※ちなみに国内最後の炭鉱は、2002年1月末に閉山した北海道釧路市の太平洋炭鉱)
「だから…あんなにゴースト化したアパートの建物が沢山あったのか…」
炭鉱が閉山して、“歩けない建物”たちは、池島に取り残されたままだ。
池島炭鉱 閉山後、三井松島リソーシスは、アジア諸国の炭鉱会社を対象に、炭鉱に関するコンサルティング/研修事業を展開。長年培った炭鉱事業のノウハウを継承しているわけだ。
炭鉱が閉山したのは、2001年(平成13年)11月29日。聞く人によって異なっていた閉山時期だったが、ようやく正確な時期が判明した。8年前でなく、約10年前だった。閉山の翌年3月、三井松島産業が閉山式を開催した。
閉山後、国の(経済産業省)5カ年計画に基づく委託で、海外に炭鉱の技術移転をする事業を池島の「長崎炭鉱技術研修センター」で開始。現在、日本の石炭供給は、アジアや太平洋地域を中心とした輸入に依存しているが、これまで培った炭鉱のノウハウ/技術を日本から海外に移転することで、石炭供給を安定的に確保することができる。
最近まで、ベトナムやインドネシアにある炭鉱会社からの従業員が、3~6ヶ月間、炭鉱の経営管理、坑内での採炭、掘進(くっしん)、保安、石炭の探査や測量の技術研修のために、池島に滞在していた。期間中、炭鉱の研修だけでなく、地元の学校を訪問、お祭りにも参加し、ベトナムやインドネシアの炭鉱の写真を展示したり、故郷の料理もふるまうなどして、地域との交流も深めた。
炭鉱技術移転の5カ年計画が終了した今、池島の三井松島リソーシスの従業員はアジアの国々へ長期出張・派遣して、アドバイスやトレーニングはもちろん、実際の炭鉱現場の監督もして、これまで構築した炭鉱のノウハウを、現地の会社に継承している。
管理職や一般コースなどもあり、期間は約2~3カ月。
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長崎県 池島 |
現在、海外に派遣しているのは約25人。池島にいる社員は、派遣先からの情報の要請を池島で受けて、その内容を調査・管理するなどをして、現地で必要な情報を池島から提供するなどしてサポートする。NEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)が池島に業務を発注して、海外に人材を派遣しているそうだ。
田舎の小さな島で培った技術が、このようにして新興国で活用されている。日本の“田舎の技術”を海外で活かすという選択かぁ… 興味深い内容だ…(続き)
■池島全般(歴史や炭鉱について)をスキップして、今夜の宿泊内容“テント泊先”を読みたい人はこちら
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