Fukuoka Oronoshima Island - 福岡県 小呂島

day 76.6 福岡県 小呂島 EXILEのミュージックスクール特待生 島田乾生くん家族とバックパッカー夫婦の夕べ

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小呂島 福岡県 EXILE 島田乾生

2011年1月26日(水) – ぼくら“田舎バックパッカー”は今朝、小呂島(おろのしま)の小中学校を見学させてもらった。(小中学校を訪問したときの話しはこちら

学校の裏山に設置されていた旧・日本軍の砲台がある要塞へ行き、この島に有名な“歌手”がいることも聞いた。(“要塞”見学の話しはこちら。“歌手に関する話しはこちら

その後、ぼくは、漁協の出荷現場をうろうろしていると、EXILEのボーカル・オーディションの最終選考まで残った1人の島田乾生(しまだ げんき)くんと父親 親次さんと出会い、約1時間、乾生くんと立ち話しをして、“歌”という夢がある中、小呂島の漁師を継いだ理由について聞いた。

今夜、乾生くんとまた会うことになり、とりあえず、ぼくらの会話第1弾目が終わった。(乾生くんとの会話第1弾目はこちら

結花が待っていた定期船待合所でご飯を食べ、テントを張った公園へと戻った。この日も強風で、寒かった…

学校帰りの子どもたちが、ぼくらがテントを張っている「小呂島公園」へ遊びに来た。

この島に来てから、ぼくはいつも以上に、子どもたちの将来の“夢”が気になってしょうがない。

「みんな将来何をしたい?」と聞くと、女の子は「お花屋さん!」、男の子は「漁師になりたい!」と回答する。

「海が好き!」と言うその子は現在小学校6年生。小学2年生から毎週末、お父さんの漁を手伝っている。「漁師は格好いい」と話す。

「漁師の嫌なところは?」とあえて聞いてみると、「煙草を沢山吸うところ!」と言う。確かに…これまで多くの漁師と会ってきたが、(特に)年齢層が高い漁師で煙草を吸っている人が多かった。

福岡県 小呂島【福岡県 小呂島(おろのしま) 公園で話した子どもたち】

 

島田乾生くんファミリー宅へ

16:30ごろ、乾生くんが大声で歌いながら原付バイクで公園を通り過ぎようとしていた。

遠くからバイクの音が聞こえてきたが、歌声もしたのですぐに乾生くんだとわかった。

なんか、爽やかな島育ちだなぁ~と、こっちの気分も気持ち良くなる。

漁師をやりつつも、中学校でバトミントンも教えている。(前回の話にも書いたが、乾生くんは、高校の時に福岡地区学年別大会で優勝経験がある腕前(前回の話しはこちら))

「中学に行って、バトミントンを教えてくるので、また来ますね!」と言って、中学校へと向かっていった。スキルだらけの乾生くんだ。

18:00ごろ、中学校から乾生くんが公園まで戻ってきた。

外寒いんで、よかったら家にきませんか?ご飯もありますし

と家に誘ってくれた。ぼくらは「え?大丈夫?いいんですか?」と、“行く気満々”なのに遠慮し、島田さん宅へと向かったぼくら。

小呂島【福岡県 小呂島からの風景】

島田さん宅に着くと、両親がぼくらを迎えてくれた。お父さんは親次さん、お母さんは貴美さん。

家にお邪魔すると早速、お母さんが「お風呂に入りませんか?」と親切な言葉をかけてくれた。

ぼくら田舎バックパッカーは、福岡に到着してから、実は一度もお風呂に入っていない。

夕飯も嬉しかったが、お風呂も本当にありがたかった!

ぼくらのように、バックパックを担ぎ歩きで田舎を駆け巡る旅をしていると、銭湯や温泉などのお風呂施設を見つけることがすごく難しいのだ!

「ありがとうございます!」とお風呂に入らせてもらった。

福岡県 小呂島 島田乾生【福岡県 小呂島(おろのしま) 島田さん宅での夕べ。今日は親次さんの誕生日】

そして!今日は、お父さん親次さんの誕生日!

ヤズ(鰤(ぶり)の子ども)、水鰈(みずかれい)、イカの刺身、カレー鍋をご馳走になった!!

乾生くんの両親に会うと、乾生くんには優しく温かい家族がいることが感じられる。

最近、隠岐諸島にCAS(キャス)という冷凍方法を見に行った、などとお父さんは話しをしていたが…ぼくらには気になるトピックがあった。

今日はお父さんの誕生日で…申し訳ない気持ちがあり…乾生くん家族の中では既に議論されていた話だが…

再度、「乾生くんの歌への夢」やEXILEの最終選考まで残った乾生くんの“歌”に関する話しを聞きたかった。

乾生くんは、2010年に開催されたEXILE次世代メンバーのオーディション「EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 2 ~夢を持った若者達へ~」の3万人から選ばれた10人の中の1人にまで残った実力者。(夕飯前の乾生くんとのお話はこちら

 

EXILEのオーディションへの道のり

乾生くんは、高校時代に、友だちと4人のアカペラグループで歌っていた。

乾生くんがお父さんにEXILEのオーディションについて話し、お父さんの「受けてくれば」の一言から始まった。

乾生くん本人も「受けてみるか」という、軽い気持ちで臨んだそうだ。

結果、乾生くんは3万人のオーディションから3次選考の10人まで残った。

3次選考まで残った乾生くんは現在、全国にあるEXILEのミュージックスクールの特待生でもある。

乾生くんの両親は、乾生くんがまさか最終ぎりぎりまで残るとは思ってなかった。本人にとっても“まさか”の出来事だった。

1次審査は個人漁の時に開催され、休暇を取って、受けに行き、その1ヶ月後に合格の通知があった。

選考を勝ち上がる中、小呂島では、個人漁から島全員で取り組む巻網漁の期間になった。

最初、島の人たちにオーディションのことを隠そうと、本土にいる親戚との都合を理由に、乾生くんは仕事を休み、島を出てオーディションを受けていた。

2次から3次審査になると、オーディションの実態を隠し通せない時期になってきた。

3次審査に向け28人にまで残った。ここまで来ると、TBSの小呂島取材と、話しが発展していった。

正直に漁業組合に話し、島内で議論になったそうだ。「もし落ちたら、歌を諦める」ことが条件で乾生くんのオーディション参加を島が許可したそうだ。

それがお父さんとの約束にもなった。

 

“夢”への道のりの難しさ

3次審査を通過すると、10人のファイナリストとなる。4次が最終となり、3次審査のファイナリストから2人が選ばれる。

残念ながら、乾生くんは、最終まで残ることはできなかった。

ファイナリストの残りの8人のうち、2~3人は別グループを結成、今後の見込みがある乾生くんや他高校生は、EXILEが全国に持つ、ミュージックスクールの“特待生”として迎えられる。

EXILEのTAKAHIROさんやレーベルの副社長も小呂島にきて、家族の事情も聞いたそうだ。

乾生くんのもろもろの状況があり、プロデューサーは、乾生くんを2次審査後に落とすことも検討したそうだ。

福岡県 小呂島 島田乾生【福岡県 小呂島(おろのしま)島田乾生くん(右)と自分(中川生馬)】

しかし、乾生くんは審査で、“自分は夢を持っている”“夢に向かっていきたい”、“自分が島の先頭に立って行きたい”

“夢を叶えるには島の厚い壁を越えなければならない”ことなど、自身が置かれている背景をEXILEに話し、EXILEの「愛すべき未来へ」を歌った。

この曲はまさに乾生くんのために作られた歌詞。

そして、プロデューサーやEXILEメンバーが感動して泣いたそうだ。

乾生くんにエールを送るために、USA(うさ)さんも取材をかねて小呂島に来たそうだ。そんな背景と歌の力から、乾生くんはファイナリストまで審査を通過した。

 

夢”と“家族

お父さんとお母さんは、乾生くんに音楽という大きな夢に向かって進んで欲しい気持ちはもちろんある。

お父さんは漁業組合のトップポジションの立場にいながらも、乾生くんの父親でもある。島の仕来たり文化もある。

難しい決断であったかと思う。乾生くんを行かせれば、これまでにない島の例をつくってしまう。

将来、乾生くんがどのくらいの可能性を秘めているのかなど、不明点も多い。EXILEも乾生くんの将来について責任を持てない。

生活費もそう簡単ではない。5月から12月は給料制で安定もしているが、それだけでは難しい。

親子で働いて生活するのが精一杯。

最近、下宿する場所も減っており、子どもが高校に行くときの生活場所として、本土の姪浜(めいのはま)にアパートも借りている。二重の生活を支えなければいけない。

また3年前に船を変えたばかりで、船は4000万円~5000万円と高額。

これを約10年使用するが、下取りしたとしても、数百万円でしか売れない。魚も安くなってきている。

漁師を引き続く息子がいる安心もあり、新しい船を購入している。

今日、お父さんの誕生日だったのにも関わらず、夕飯の主役は乾生くんのトピックになっていた。

ところどころで、お父さんが「今日、おれの誕生日なんだけどなぁ…」とぼそっと一言を発するごとに皆が笑う。

乾生くんには、島のルールという大きな壁がある。乾生くんは今、漁師と歌の道を平行して進む道をとることを考えている。

しかし、もし“プロ”を目指すことを考えているならば、両立した道は、難しい気もする…

が、スーザン・ボイルさんのような例もある。天候に左右される漁師のお休み、九州本土への距離の遠さなど、漁師と歌手のバランスはそう簡単ではないだろう。

道半ばに終わってしまうかもしれない。それにプロじゃなくても歌は続けられる。

 

本当に“夢”へ向かいたければ…島のルール…

お父さんは、「本人が本当にやりたければ、島を出ても、その道に向かうだろう」と話す。

しかし、乾生くんは若干21歳。甘い考えかもしれないが「島へ戻ってきても大丈夫」という1つだけでも安心感/心に島の応援とゆとりがなければ、飛び出すことは難しい気がする。“夢”に向かっている誰でも、精神的に大きな支えがあると、夢への姿勢が違ってくる。

一歩を明るく踏み出せる。

ある程度の期間を決めて、歌の道へと進んでもいいのではないだろうか。

しかし、例え子どもが夢に失敗したとして、島に戻ってきたとき、それを受け入れられる寛容性が小呂島にはあるのだろうか。

などと感じたり、乾生くんについて話していると、食事中、ぼくは生馬(いくま)だが、わざとらしく何度も「また!もー!たくま!」と、笑いながら呼ばれる。

「あー!乾生くん、もっと歌の夢に向かえばいいのに!」とぼくらは単純に思ってしまうが、島の厳しい現実/ルールを破り、乾生くんに歌への夢の一歩を踏ませてくれた両親。

最初の一歩として、歌の道への希望があることがわかった乾生くん。

田舎/故郷である小呂島とうまく連携をとって、年をとっても今の“想い”を忘れずに、夢に向けて取り組んでほしい。

将来の島のために、乾生くんの“歌”が島の更なる“夢”の発展にもつなげられるはずだ。

それにしても今日は昼から田舎の厳しいライフスタイル、小呂島の現実を目の当たりにした。

“島”という家族も重要で、若い世代の夢も重要。

今は、“島”の仕来たり/風習にバランスが偏っているように感じる。ここのバランスになんらかの改善点が必要だと思った一日だった。

 

昔の小呂島…風呂…電気…火葬場

っと…またまた話しは変わるが…

島の各自宅のトイレは6年前まで水洗でなかったそうだ。

風呂は共同だった。当番制で、風呂掃除して沸かしていた。

1992年(平成4年)に、淡水化装置が設置され水の確保ができ、各家庭で風呂に入れるようになったそうだ。

個人的にお風呂が必要な家は、雨水を貯めて、使用していた。電気を確保することも難しかった。

また、亡くなった人たちの遺体は現在、本土で火葬して、遺骨を島に戻しているが、7~9年前までは、島の青年たちがお墓を掘って、体をそのまま埋めていたそうだ。しかし、お墓のスペースがなくなってきたため、納骨に変えたそうだ。

 

今夜のバックパッカーのテント泊スポットへ

もろもろ小呂島について話をしているうちに、時間が過ぎていった。

小呂島 美しい 海【福岡県 小呂島の海】

漁師の朝は早いので、ぼくらがテントへと戻ろうとすると、乾生くんとお父さんが、工事で使用しているプレハブ小屋を紹介してくれた。

小屋は定期船の待合室のすぐ近くだ。外は風が強く寒い。テントの中は時間が経つと暖かくなるが、小屋のほうが、風がないし冷えにくい。

22:00前に島田さん宅を出て、まずは公園に張ったテントに戻り、荷物をまとめて、プレハブ小屋に向かう。

テントを張りなおすのが面倒なので、テント内の荷物をバックパックに詰めて担ぎ、テントを畳まず二人で持ち上げる。風が若干強いので運びにくい。

夜中に、バックパックを担ぎ、テントを持ち運んでいる怪しい夫婦二人だ…

プレハブ小屋にテントを入れて、準備完了。今夜はプレハブ小屋で寝るぼくらバックパッカーだった。

明日、ぼくは、なんと!乾生くんたちと漁へ行くことになる…<続きはこちら

< 前回のストーリー 『day 76.5 福岡県 小呂島でEXILEのボーカル・オーディションのファイナリスト 島田乾生くんとの出会い ~漁師の引き継ぎ率ほぼ100%の背景。“島の漁と家族”または“自分の夢”…あなたはどっちを選ぶ?~ 』>

< 次回のストーリー 『day 77 福岡県 小呂島で“漁”へ行く田舎バックパッカー・生馬 ~昼過ぎの網“仕掛け”と夜中の網揚げ~』>

※さて、ぼくは、鎌倉へと戻ると、乾生くんがオーディションでうたったEXILEの「愛すべき未来へ」を聴いた。この島で聞いた話をベースにこの歌を聞くと、乾生くんの感情を表現している歌だと感じ、心を深くうたれる。乾生くんの背景をきいたからこそ感動出来る曲なのかもしれない。

彼の話すことは全てこの歌に綴られているように思えた。

■「愛すべき未来へ」
作詞 ATSUSHI
いつまでも見つめてたい 幸せそうなその笑顔
広い地球のどこかで今日も 泣いている人がいるのかな
いつも心にいる 大切な人を思い
幸せであってほしいと願う 僕の小さな夢
いつかなくしたものだって
きっともう一度取り戻せるから
僕は精一杯叫び続ける
愛する気持ちまだ 止めないで…
いつか傷ついて 優しい気持ちなくして
夢を追いかける 本当の意味さえ 見えなくなってた…
子供たちが夢を持ったまま
生きていってほしいと願うから
今僕らはここで何をすべきか…
愛すべき僕らの未来のため
幾千の星の中 優しさを分け合う
喜びを知り 僕たちはこれから繋いでゆくんだ
希望と命の糸
僕が笑顔で いられたら
あなたの笑顔が見ていられる
そう信じて僕は叫び続ける
愛する気持ちまだ 止めないで
愛すべき僕らの未来のため

小呂島 福岡県 EXILE 島田乾生【福岡県 小呂島(おろのしま) 島田乾生くん家族との夕べ。美味しい海の幸鍋をご馳走になりました】

 

 

IKU - INAKA Backpacker

投稿者の記事一覧

1979年1月生まれ、東京生まれ鎌倉と米オレゴン育ち。鎌倉の中学校卒業後、オレゴン州の高校と大学を卒業。現在、石川県鳳珠郡穴水町岩車在住。ソニーやPR会社で広報業務に約10年間携わり、2010年10月、ライフスタイルの選択肢を増やすべく、日本の田舎/地方を中心に、テント・寝袋・自炊道具などを担いだバックパッカー旅を開始。以後2年半にわたり旅を続ける。「テント」ベースから、2012年5月以降は「バン」ベースのバックパッカーになりバンライフ開始。2013年5月、人口約100人の限界集落 能登半島・石川県穴水町岩車に移住。現在は、「田舎への旅」と「田舎でのライフスタイル」の二つを軸に、田舎旅やライフスタイルの情報発信、都市部の人たちが能登の暮らしを体感できる「“ざっくばらん”な田舎ライフスタイル体験」の提供を行なうほか、東京のスタートアップ/ベンチャー企業、移住先・能登や静岡県の中小企業の広報サポート、地域活性プロジェクトサポートにもリモートワークで従事。また、ブログやウェブ制作、写真、執筆活動なども行なっている。移住先で自宅がある岩車の隣の地区 穴水町川尻では、シェアハウス・サテライトオフィスなど多目的・多機能の「田舎バックパッカーハウス」、そこに併設する“住める駐車場”であり長期滞在可能な車中泊スポット「バンライフ・ステーション」も運営。現在、東京の“バンライフ”のCarstay(カーステイ)で広報責任者として関わりつつも、静岡県島田市で幻のきのこ“はなびらたけ”「ホホホタケ」を生産する大井川電機製作所、石川県輪島市では国産漆だけでアート作品をつくる“芯漆(しんしつ)”の山崖松花堂などの広報を担当する。移住先・石川県穴水町岩車で育てられた牡蠣の販売もサポートする。

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