2011年1月26日(水) – 前回に引き続き、小呂島の要塞で、小呂小中学校の山口哲也先生と島での教育について話しているところ。
少人数学校のメリットやデメリットについても聞いてみた。
小さな島の学校でのメリットやデメリット
島の学校の場合、先生が生徒に対して“家庭教師”になってしまう。
先生が生徒に細かく教えられることは良いことじゃないのだろうかな~…。
これについては、以前も聞いたことがあり、一つのメリットであるそうだが、デメリットでもあると話す。
中学を卒業して、高校に入学したときに、島外の高校の先生との交流の仕方に違いを感じてしまう。
生徒が多い都会の学校だと、先生との付き合いが“当たり前ではない”。先生から生徒に問いかけることが少なくなる。
ほぼ「ない」と言ってもいいだろう。“密着型の教育が当たり前”と島の生徒に思われるのもよくない。
生徒は、先生との交流の仕方を自分で身につけなければいけない。
(そう簡単ではないと思うが)先生から生徒ではなく、“積極的に生徒から先生”に質問を聞くことを身につけさせれば良いではないだろうか、と単純に思ってしまう。
アメリカの高校で学んだこと
ぼくがアメリカの高校に行っていたとき、“積極的に自分から先生に教えてもらいに行く”“わからないことは何でも聞く”スタイルを身につけた。
高校で一時成績が落ち込み、退学させられそうな出来事があったことを思い出した。
先生に質問をしない生徒は基本、放っておかれる。「放っておかれる」というより、「大丈夫だろう」と思われる。
しかし、成績が悪化すると、先生が生徒を気にかけはじめ、「わからなかったら質問をしに来なさい」と言ってくれ、そんな言葉は成績が悪化する前から聞いていたが、どうも行きづらい。
ぼくにとっての先生の存在は「怖い。友だちではなく、あくまでも“先生”」と考え、これまで日本では先生と“ざっくばらんに”話せるフラットな関係ではなかった。
先生と交流することがなかった文化で育ってきた。「わからないけど、聞きに行くことが恥ずかしいし、教科書を読めばわかるだろう」と思っていた。
どちらにしろ、全てが英語になると、授業についていけない。教科書を読んでも理解できない…状況に陥っていた。
成績が落ち込み、“自分がなんとかしないと何も始まらない”と、“積極的になる”ことを学ぶしかなかった。
成績が悪化して、退学通知のレターが届くと、「先生に“もっと”教えてもらうしかない」と強く思い始めた。
成績が悪かったせいで、大好きなテニスもできなくなった。教科書を読んでも、英語の専門用語が多く、難しいことばかり書いてあるし、ぼくにとっては理解しにくい。
追加だが、アメリカでは、学校が教えてくれるのが当たり前と考えているので、“塾”に行く文化がない。
日本のように「塾で何とかなる」の発想はない。“塾”に近いものは、おそらくあると思うが、“塾”に通う人や“塾”という言葉ですら聞いたことがなかった。
そもそも今考えれば、「学校があるのに、なんで塾に行く必要があるのだろうか」とぼくは思ってしまい、正直、塾の必要性が感じられない。
【福岡県小呂島 小呂小学校の理科の山口哲也先生と要塞を散策しながら、学校教育について教えてもらう】
その頃取得していた授業は、物理、微分積分、アメリカ史、宗教、国語(英語)が二つ、保健・体育などと専門用語ばかりの授業だった。
日英・英英の辞書を使いながら教科書をもちろん読むが、専門用語だらけで、簡単な解説がなければ、わからない。
わかったと思っても、自分の理解に不安があった。
放課後、全科目の先生のところへ行き、その日に学んだことについて、簡単な表現で教えてもらいにいった。毎日が復習の放課後だった。
ホームステイ先の家族にはそこまで頼れない、そこまで親しい友だちもいない、日本の家族や友だちは遠いし、連絡することで心配をかける。
迷惑もかけたくない。
ホームステイ先からは、(そこまで見ていなかったが)テレビが禁止され、翌朝疲れないように、帰宅後にすぐに勉強して、翌日授業に集中できるように早寝することも徹底された。
そんな中、自宅のトウモロコシ畑、ストーブ用の薪割り、洗濯、皿洗いなど、家事も手伝うなどして、「あー!勉強しなきゃいけないのに!」と思うことも多々あった。
親しい友だちがいなかったという悩みもあったが、学校に残らなければ、なにもかもが終わる。
とにかく、自分で解決策を考えて実行するしかなかった…
学校で積極的に行動を起こして、勉強面で一番頼れるのは先生だった。
恥ずかしいとか、自分が馬鹿に見えるとかは全く気にせず、とにかく、自分が納得してわかるまで徹底的に聞きにいった。
自分にとってこのアメリカの高校での教育スタイルは、日本で9年間通った小学校や中学校では、存在していなかったので、そんなスタイルを自発的に自身に取り込むことは難しかった。
おそらく、日本の学校で、先生のところへ行くと、「教科書をよく読みなさい」「教科書のこのページに書いてあるでしょ」で終わってしまうような気がするし、「こんなことを聞きに行くなんて、馬鹿と思われる。
格好悪いなどと周りの目を気にしてしまう。9年間の日本で培った教育システムが通用しない社会だった。
「自分がわからなかったら、わかるように何とかする」と、自分から立ち向かわないと、何も始まらない文化なのだ。待っていても何も生まれない。
でも、行動を起こせばなにかが生まれる。ぼくが選んだ行動はいたってシンプルで、「毎日、放課後、先生のところに行き、可能なかぎり“簡単”に今日習ったことを教えてもらう」ことだった。
毎日、「今日、先生がこんなことを授業で言っていたと思うけど、ぼくの理解は正しいですか?」「こう言っていましたけど、これはどういう意味ですか?」と常に聞きに行っていた。
一つの科目の先生に質問を聞き終わると、次にわからなかった科目の先生がいる教室へ行く。
家に帰って、宿題や習ったことの復習をして、翌朝、先生に聞きに行くこともあった。
ちなみに宿題の量も半端なかった。毎日、全科目合計100~300ページの読書と宿題…。時にはもっとあったような気がする。
結果、成績はA(4)、B(3)、C(2)、D(1)、F(0=単位なし)の4段階中、AからBの中間(3.5)までアップ。
高校から退学ぎりぎりの通知が届いたときは、1.5まで成績が落ち込んでいた。
自慢話をしているつもりはないが、この時、先生のところへ“積極的に教えてもらう”行動を起こさなければ、最悪、退学となっていただろう。
っと…そんな思い出話を振り返った…
先生から生徒に問いかけることも重要だが、“生徒から先生に積極的に問いかける”教育を仕掛けてはどうだろうか。<続きはこちら>
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■これまでの学校訪問について
<2010年10月 長野県 茅野市立金沢小学校「旅5日目で語ったこと…」>
<2010年11月 香川県 伊吹島 「アメリカと日本の教育の違い」>
<2010年11月 愛媛県 怒和島 「故郷を捨てない教育」と「故郷を捨てる教育」>