day 75.1 福岡県で一番小さい島“小呂島(おろのしま)”に到着 ~学校へ向かった~

2011年1月25日(火) – 今日午前中、福岡県博多に夜行バスで到着。

ぼくら田舎バックパッカーは現在、福岡県の玄界灘に浮かぶ小呂島(おろのしま)へ向かおうとしている。

小呂島については全くなにも知らず、相変わらず旅先については全くリサーチしていない。

地図を見て、「ここだ!ここは聞いたことないから行ってみるか!」という感覚で旅先を決めている。(そのストーリーはこちら

姪浜港(めいのはまこう)に着くと、ぼくは出航まで、トイレに入っていた。

船へのゲートでは結花が、「ここには宿がないよ。本当にいいんですか」と、船乗り場の切符収集場係の人から、何度も聞かれている。

「いくちゃん、テント張ることは言わなかったけど、ぶつぶつ言ってたよ」と、結花は弱々しく言う。

影響されやすい結花は、10言われると100のダメージを受けてしまうタイプなのだ。

いくつか追加すると、結花は特に何も考えずに…常に…“自慢げ” かつ“大げさ”にテントを張る場所を他人に話してしまう。

「見知らぬ人に言わない方がいいよ」と伝えても、どうも“自慢げ”に話してしまう。

いわゆる、お喋りな“ビックマウス”なわけだ。万が一を考え、見栄を張って、大々的に言うべきことでもない。

ぼくらも十分怪しく見えることは重々承知だが、“変な人”にテントを襲われたら大変だ。

去年10月、舳倉島(へぐらじま)に行ったとき、テントや寝袋を担いでいることを伝えたら、野鳥写真家に、ぶつぶつと言われたこともあった。

テントには、“自分たちの旅先の宿を自分でつくる”という、いたってシンプルな楽しみがある。

まぁ、ともかく、ぼくらは“宿を持参”しているので、現地に宿がなくてもいいわけだ。

 

新たな旅先 小呂島に到着

1時間ほど船に乗り、小呂島に到着。ぼくらは、とりあえず、港の待合所に重いバックパックを置いて、島内を散歩。テントが張れそうな場所を探すと同時に学校へ向かうことにした。

福岡県 小呂島

【福岡県 小呂島の風景】

ちなみに小呂島では、ぼくらが持っているソフトバンクの携帯電話は全くつながらない

この島でつながるのは、NTTドコモのみだそうだ。やはり地方ではソフトバンクの電波は弱すぎる。

プラチナバンドで、地方/田舎でもつながるようになったソフトバンクのストーリーはこちら

小呂島に到着する前に、船内でスマートフォンのGoogle Mapを使って島の地理情報を見てみた。

小呂島に学校があることは分かっていた。「学校でいろいろと教えてもらおう」と思い始める自分。

学校があるのは当たり前!」と思うかもしれないが、最近、地方や島では学校が休校になっていたり、小学校が中学校と併設になっている地域が多い。

2010年11月に行った香川県 伊吹島(いぶきじま)の小学校は、中学校と併設、愛媛県の八幡浜大島の小中学校は休校で子どもが全くいない島となっていた。

学校で地域のことを聞くと、島の基本的なことについて、いろいろと学べることが最近わかってきた。

ぼくは、島や田舎での教育に関して、興味があるので、一石二鳥。小中学校へと向かった。

途中には、保育園もあったので、ここには比較的若い人たちも多そうだと察する。今夜、テントを張れそうな公園も見つけた。

小呂島 福岡県

【福岡県 小呂島 今夜テントを張る公園 下にいるのはバックパックを背負った結花】

公園を通り過ぎ、しばらく行くと墓地があった。変わったお墓がある。普通の墓石の上に、石で造られた大きなカメラがのっている。

あとで島の人から聞いた話だが、若くして亡くなった人のお墓だそうで、カメラがすごく好きな人だったそうだ。

たまたま、消防団の用事で福岡に出張し、福岡で交通事故にあってしまい、亡くなってしまったそうだ。

そのような背景がありお墓には、思い出のカメラがのっている。

変わったお墓

【福岡県小呂島のカメラがのったお墓】

また、一部の人に聞いても理由は判明しなかったが、学校に近くなると、道の色が、青色と緑色に変わっていった。

福岡県 小呂島

【福岡県小呂島 – 学校へと続く道がユニークな色に変わる。】

福岡 小呂島 売店

【福岡県小呂島のお店は漁協「購買部」のみ。小呂島に宿はない。】

ぼくらバックパッカーが学校に到着したときは、既に17:00をまわっていて、生徒はすでに下校していた。<続きはこちら

< 前回のストーリー 『day 75 福岡県博多に到着 ~“小呂島(おろのしま)”へ…って「どこそれ?」~ 』>

< 次回のストーリー 『day 75.2 僻地5級の福岡県“小呂島(おろのしま)” 漁師の引き継ぎ率ほぼ100%?!』> 

INAKA-Backpacker | Promote Your Page Too

 
ブログ村ランキング参加中!クリックをお願いします!
Please click below icon for a blog ranking
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
こちらクリックを!

 
●スポンサーリンク

 

inaka-backpacker

日本の田舎/地方をバックパッカー旅する中川 生馬(なかがわ いくま)。バックパッカー✖ハイエースがベースの“動く拠点”(ファミリーワゴンC)で、聞いたことがない田舎を旅して、そこでのライフスタイルを探求する。ときには、飛行機、電車、夜行バス、スクーターなどの乗り物のテクノジーも活用。   旅先は基本、これまで聞いたことがない田舎/地方のマイナースポット。 小学校・中学校のころ、社会科で使用していた帝国書院の地図をパッと開き、「ここは聞いたことがない!」と思た場所。途中、『ここもいいねぇ~』と“気になるスポット”を見つけたら、寄り道して、“気になるスポット”も探求する。トラベルスタイルは自由奔放。   基本、旅先の事前調査などはせず...現地の人に話しかけながら、一歩づつ進む。   約10年間の東京や鎌倉での会社中心の生活を経て、2010年10月から、会社中心以外の新たなライフスタイルを探求したく、都会での生活を離れ、“聞いたことがない”日本の田舎/地方を中心に、テント・寝袋・自炊道具などを担いだバックパッカー旅へ。   「自分が過ごしたいライフスタイルは、これまで過ごしてきた場所以外にあるかもしれない、自身で体感したい」「ライフスタイルやワークスタイルにもっと選択肢はないのか?」という疑問を抱き始め、旅歩くことを始めた。旅先の田舎で出会う人々とコミュニケーションをとり、より自身に合いそうな田舎でのライフスタイル(暮らし方)を探す...   仕事面に対しては『約10年、企業で培ったスキルをフル活用、今後も仕事して学んでいくから、仕事はなんとかなるだろう!』という楽観的な考え方。バックパッカー旅への初めの一歩を踏み出す。   気になる...知らない...スポット...日本の“マイナー”スポットだからこそ発掘しがいがあるのだ。「日本のマイナーな田舎/地方を発掘、そこでのライフスタイルも実感する、そして人生/ライフスタイルの選択肢は幅広いことを多くの人に届ける」ことを、ぼく自身を軸に発信する。   ITベンチャー、国内独立系最大手の広報代理店 共同ピーアール株式会社や、電機とエンタテインメント世界大手企業 ソニー株式会社などで広報職を経て、フリーランスで独立。   2013年5月、能登の岩車(石川県鳳珠郡穴水町)に移住。大抵、ぼくと同年代であれば、“仕事ありき”で移住することが多いが、『自身のスキルと現在のテクノロジーをフル活用すればなんとかなる!』という、漠然とした根拠と楽観的な考え方から二歩目を踏み出す。   移住後、自身のスキルをフル活用し、東京のベンチャー起業・地方/田舎の小規模企業などの広報、ライター、執筆・撮影・基盤構築含めたウェブ制作、海外の著名人への取材依頼・現場取材・ラフ原稿執筆含めた取材コーディネート、ブロガーとして活動を開始。 能登では、地元の人たちと連携して「“ざっくばらん”な田舎ライフスタイル体験」、「田舎旅するショッピング」として地元の海産物の販売サポートなども行っている。   フリーランスや田舎バックパッカーとしての主な持ち物は...テント、寝袋、自炊道具、衣類など生きるために必要な道具。そして、メモ帳、スマートフォン『Huawei Mate9』、タブレット『Surface Pro 3』、ミラーレス一眼レフカメラ『ソニーα6000』、一眼レフカメラ『キャノン7D』、ICレコーダーなどのIT/ガジェットグッズ。   鎌倉の深沢中学校卒業後、1994年、15歳のときに1人、アメリカ・オレゴン州のValley Catholic High School(バレー・カトリック高校)へ。半自給自足生活をする家族と3年間暮らす。2001年に同州・オレゴン大学を卒業。約8年弱のアメリカでの田舎暮らしを経て、帰国。   現在の拠点は能登の岩車(石川県鳳珠郡穴水町)の古民家(家賃1万円)と、ハイエースがベースの“動く拠点”『ファミリーワゴンC』。家族3人で暮らしている。1979年生まれ。   働き方/ワークスタイルは基本『とにかく自由奔放』で、いずれ、常に移動して暮らすことが定住のような『遊動民』的なライフスタイル『移動型定住』を目指している。  

コメントを残す