2010年12月17日(金) – 3泊4日間の沖の島への田舎バックパッカー旅、沖の島の中心人物だと思われる、市原家族、荒木夫婦、保木家族と交流することができた。
沖の島は温かく、優しい人たちばかり。
沖の島到着早々、宿も経営している市原商店に行き「シャワーを貸していただけませんか?」のお願いから始まり、沖の島や知佳さんの勤務先「あったかふれあいセンター」について聞いたり、ぼくらを考えさせられる楽しく愉快な夕べもあった。
初めて、タビエビ(ゾウリエビ)も食べさせてもらった。
そして、翌日、沖の島の「赤い有名人」と出会った。
服装や車など、全て身の回りを赤でかため、それらに「Araki」ロゴをマジックでつける動くブランド塔の「けん坊(荒木健吉さん)」だ。彼の印象は強い…
そして、若い保木家族とも出会うことができ、島ならではの課題も聞いてきた。
ここ4日間過ごした沖の島、過去に行った怒和島、伊吹島、坊勢島、興居島などの島々への訪問から「島での生活スタイル」が少しずつわかってきたような気がする。
ぼくらを強風が吹き飛ばそうとする中、「熱い人たち」に囲まれ、沖の島での4日間を過ごすことができた。
ぼくらは今朝、けん坊宅で目を覚ました。今日、沖の島を出発して、特に行き先は決めてないが、「次の旅先」へと向かう。
けん坊は早起きだ。6:30ごろ最初に起き、リビングの電気をつけて、皆を起こしてきた。
早い… 朝ごはんをいただき、早朝からNHK連続ドラマ「てっぱん」を見る。
NHK連続ドラマ、毎朝8:15からだと思っていたが…こんな早くから放送していたんだ。
そして、朝から、けん坊は当たり前のように、トレードマーク「赤」に、ロゴマークの「Araki」が入った服を纏う。
今日午後の便が欠航になると、沖の島を出られないので、午前中の便で沖の島を出発し、四国本土 宿毛(すくも)(高知県)へと戻る。
7:50ごろ、けん坊宅を出て、隣に住む市原さん家族に挨拶を言いに行った。
「今度、鎌倉に遊びにきてくださいね。いつ戻るかわかりませんけどねー」と伝えると、知佳さんは「そんなこと言っていると、絶対行きますからねー」と返答し、ぼくらは市原商店を後にした。是非来てほしいところだ。
市原お父さんは、宿毛で消防団の打ち合わせがあるので、ぼくらと同じ定期船に乗る。
定期船の切符を購入して、宿毛への定期船に乗りこんだ。
沖の島でのお別れも印象的で、「嬉しいお別れ」だった。結花は船内のトイレに入った。
市原お父さんさんがぼくに「2階の外へ行っておいで」と声をかけてくれた。
「ん?なんだろう?」と思いつつ、定期船の2階の外に出る。
沖の島をみると、「あったかふれあいセンター」にいる知佳さん、誠くん、市原商店のお母さんたちが、片手にタオルを振りまわして、両腕で手を振ってくれているのだ。
ぼくは、1階のトイレから出てきた結花を2階の外に連れ出し、ぼくらもみんなに手を振る。みんな、ぼくらが見えなくなるまで、手を振ってくれた。
純粋に嬉しかった。
8:15出発ごろ、予定より少し遅れて片島港に到着。片島港から宿毛駅までは、市原さんが送ってくれた。
最後まで温かい沖の島だった。(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 52.2 高知県 沖の島の『赤い有名人』3 ~ けん坊宅で語る「島の子供1人、小学校は再オープンするのか」 ~』>
<次回のストーリー 『day 53.1 高知県宿毛から愛媛県 宇和島(うわじま)へ。~ またまた…『焼肉屋の誘惑』…つるの湯でのテント泊 ~』>
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