2010年12月16日(木) – ぼくらは今朝、荒木さん夫妻と出会い、一日中荒木さん夫妻との交流を楽しんでいる。荒木健吉さんはこの島の赤い「けん坊」として知られ、沖の島の人気者なのである。
day 52.1 高知県 沖の島の『赤い有名人』2 ~ けん坊の島案内で母島へ ~ |
ぼくらは今朝、荒木邸で、昼ごろ焼そばをご馳走になって、沖の島を一緒に散策。沖の島の天然記念物の「あこうの木」などを見に行った。
荒木健吉さんは沖の島出身、そして荒木夫妻は2009年の退職後、沖の島に戻ってきたが、沖の島のいわゆる観光スポットをあまり見ていないそうだ。
けん坊の同級生で、磯釣りの船などを運営する金ちゃんとも出会い、金ちゃんにあこうの木の場所、あこうの木が、他の木に網目を張って成長していくことから、「絞めころしの木」として知られていることなどについて、教えてもらった。
そんなこんなで時間は過ぎ、ぼくらは荒木さん宅に戻り、これからお風呂に入って、夕飯を食べるところだ。
今日のユニークな食べ物は、なんとウツボ。開いて干したウツボを、七輪で焼いて食べる。まず、炭を入れた七輪を家の中で使うことにおどろいた。
「これって家の中に匂いがついてしまいませんかねぇ」とも思ったが、「いいんだ、いいんだ」ということであまり気にしてない様子。まぁ、そんなんもありかぁ~。
ウツボの食感は、カリカリしていて、しょっぱくて美味しい。徳島県の伊島ではウツボが外に干されているところを見たが、食べてはない。ウツボを食べるのは今回が初めてだった。
「島でウツボを食べる」何とも良い感じの響きである。
ウツボを捕るには、傘型(立体三角形(とんがりコーン))のものが円錐の中入った仕掛けを使う。
通常ぼくらが使う傘のように、立体三角形の傘先端のとがった部分にウツボが進むにつれて、穴が狭くなる。
狭くなっている傘先端の穴に入ると、そこには餌がおいてある。傘先端の穴にウツボが入ってしまうと、傘先端の部分が閉じてしまい、ウツボは後戻りできないのだ。
伊勢海老漁は、海中に120メートル×30メートルの網を「縦」に仕掛ける。仕掛け網の下部分には、重りをくっつけて海底に沈め、上部分には浮きをつけ、海面に浮かせることで、網が縦横に仕掛けられる。
網目に伊勢海老の長い足や触角が絡まり、海老が捕れるのだ。
しばらくすると、「グレ(めじな)をもらってきたんですが、いりませんか?」と、若い男の子がけん坊の家にやってきた。沖の島の漁協で働いている保木司(ほきつかさ)くん(26歳)だ。司くんは、匂いがついてしまうので、魚を捌くのが苦手。
けん坊が、「おう、じゃ、おれが捌くから、あとで奥さんといづみちゃんを連れて、夕飯を一緒に食べに来な」と伝える。
ぼくらは「あれ?もしかして、あったかふれあいセンターで会ったいづみちゃんのお父さんですか?」と聞いてみた。そう。ぼくらは、いづみちゃんと司くんの奥さんに昨日、あったかふれあいセンターで出会っているのだ。
いづみちゃんとは、似顔絵を3人で描きあっていた。司くん夫婦とけん坊夫妻は仲良し。2週間に一度、一緒に夕飯を食べているらしい。
けん坊は、グレを外の流しに持っていき、包丁で鱗(うろこ)をとり、3枚におろす。かなり手慣れている。赤い「けん坊」はここまでするのだ。
やはり、けん坊は、実に奥深い。ただ赤いだけではない。
しばらくすると、司くんの奥さんといづみちゃんがやってきた。
いづみちゃんは、結花のカメラを使ってみんなの写真を撮っている。写真や絵にすごく興味がある子なのだ。
笑顔が絶えず、かわいい4歳のいづみちゃんなのだが、いづみちゃんの両親の司くんたちは、2年後の小学校のことで頭を悩ませている。
沖の島の小学校は現在、生徒がいないため、休校中。
建物には耐震強度の問題があるそうで、実質廃校と言っても過言ではない。
しかし、沖の島には、4歳のいづみちゃんがいる。
いづみちゃんは、2年後、小学校に入学予定だ。沖の島には現在、小学校がないので、司くんたちはそのことで頭を悩ませている。これからいづみちゃんの小学校について、役場などと相談していかなければならない。
果たして高知県または宿毛市は、1人の小学生いづみちゃんのために、沖の島に小学校を再オープンするのだろうか。
個人的には、今後の島の活性化のため、いづみちゃんのためにも小学校をオープンしてもらいたいと感じる。
小学校が再オープンすることで、子連れの若い夫婦が島に戻ってくるかもしれない。これからも沖の島を好きになる世代も育てていきたい。
司くんは以前、バイク王で働いていたそうだ。その後、子どもが産まれて、奥さんの実家がある沖の島へ戻ってきたそうだ。いづみちゃんが産まれたとき、二人の出会いのストーリーを聞いた。
司くんは、いづみちゃんが産まれた日、たまたま朝まで飲んでいたらしい。奥さんは、いづみちゃんの出産で3:00頃、目が覚めて、兄弟に運転してもらい、病院へ向かったそうだ。約2時間で無事、いづみちゃんを出産した。
司くんと奥さんの出会いは、司くんが22歳、奥さんが23歳のとき。当時、二人ともパチンコ屋さんで働いていたそうだ。パチンコ屋では、常に騒音がひどいので、店員はトランシーバーでコミュニケーションをとっている。
パチンコ屋での、シフトの引き継ぎで、トランシーバーの受け渡しをしていたのが、司くんと奥さんの友達。奥さんとはシフト時間帯がずれていたそうだ。
その友達が奥さんを司くんに紹介、話はもっと深い?!かもしれないが… そして2人は結ばれた。司くんたちのきっかけは、このトランシーバーの受け渡し。
「ぼくと結花の出会いのきっかけもシンプルな感じで、『ビラ配りをしていた結花』と『外で休みしていたぼく』から始まったなぁ」なんて思いながら、ぼくは飲みながら、彼らの話しを聞かせてもらった。
彼らのほんのりとしたストーリーで、夜は締めくくられ、今夜、ぼくらは、けん坊の家でお世話になった…(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 52.1 高知県沖の島の『赤い有名人』2 ~けん坊の島案内。母島へ。天然記念物 あこうの木~』>
<次回のストーリー 『day 53 高知県 沖の島を出発 ~手を振って送ってくれたくれた沖の島のみんな~』>
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