2010年12月9日(木) – ぼくら田舎バックパッカーは小松島ステーションパークで、犬を4匹連れていたあの画家っぽいおじさんを待つ。(前回のストーリーはこちら)
ぼくらのことを忘れてないかなと思っていた矢先、9:00過ぎに、おじさんが赤いワゴンのボルボで到着。彼の名前は、銭谷誠さん。
銭谷誠さんとの出会い
銭谷は「ぜにたに」と本来読むようだが、長くて外人が発音しにくいため、「ぜにや」にしたそうだ。
銭谷誠さんは“やっぱり”芸術家だった。
今回の旅で、美術関係の人と出会うのはこれで二度目だ。
彼の息子さんは自転車で旅をして、旅先で出会った人にお世話になっていた。
そんな背景から、ぼくらのような旅人に親切なオファーをくれた。
銭谷さんは徳島出身で、彼の多くの作品は、阿波おどりがほとんど。
「自分が住んでいるところの文化を自分の作品をとおしてPRしたい」と話す。
銭谷さんは動作のあるものを絵で表現することが好きで、阿波おどりの中でも、動いている人の絵を描いている。
今は阿波おどりの絵がメインだが、船も好きで、昔から船の絵をよく描いているそうだ。
【徳島県 小松島から、伊島への定期船の港がある答島(こたじま)まで「阿波おどり」を描く画家の銭谷誠(ぜにや まこと)さんに送ってもらった。彼の作品は国連本部や国会議事堂にも飾られているそうだ。】
「昔、画家の代名詞には、必ず『貧乏』がついていた」と、銭谷さんは笑いながらぼくに話し始めたことをよく覚えている。
画家の前は土木をして、小松島から徳島市までの道路などの設計もしていたそうだ。
しかし、「人生何をしてもいいけど、やっぱり好きなことをすべきだ」と思い、「絵が好きだから」画家専業でやることを決めたそうだ。
「約50年…画家という職業でよくこれまでやっていけたなぁ」とぼくは思い、「よく『売れる』画家まで辿り着きましたね。どんな秘訣があるんですか?」とストレートな質問をする。
売れる画家になる秘訣
銭谷さんは美大に行きたかったが、「美術系の大学は食っていけないからダメだ」と親に反対されたそうだ。(パソコンを使うグラフィックデザインは別に)確かに一般的に美術の中でも“絵描き”で食べることは難しいと考えてしまう。
そんな親の反対から、銭谷さんは美大に行かず、商業を勉強した。もちろん好きな絵も描いたのだろう。
銭谷さんの成功の秘訣はこの大学にある。
「今考えると、大学での交流が大切だった。ぼくの同窓生は商業を勉強している。ビジネスの世界に入り、同窓生たちが出世する。ぼくは彼らと友だちだ。そんな友人が絵を買ってくれるんですよ」と話す。その後、「紹介の紹介でネットワークが拡大していった」そうだ。
絵としても、阿波おどりを描く画家はそう多くない。
銭谷さんとは違い「美大で勉強した人たちは、大学で絵描きとしか会わないから出会いが限られる」と話す。
銭谷さんの話によると、彼の阿波おどりの作品は、ニューヨークの国連本部、国会議事堂などにも飾られているそうだ。
台場にある「船の科学館」には、2点ほど銭谷さんの船の絵が飾られているとのことだった。
国連、国会議事堂、船の科学館など、「ここらに飾られれば皆が見るでしょう。だから、ほとんどが宣伝目的。無料に近い額で売っているんですよ」と話す。なるほど…さすが商業を勉強していただけある。
マーケティングや人とのネットワークをうまく活用したやり方と感じた。
しかし、それでも「プロとして無料で自身の絵を渡すことはしない。お金が絡むと気がひきしまるし、プロ意識が高まり、一生懸命になる」と、銭谷さんは話す。
三味線も好きだったそうだ。動くものを描ける人が少ないなか、銭谷さんは動作がある絵が描ける。フラメンコも描いたりしたそうだ。
銭谷さんの最高の思い出は、300年以上の伝統を持ち世界最古で最大の国際美術展「ル・サロン」に自分の絵が展示されたこと。
「ル・サロン」は毎年、フランスで開催されているそうだ。
最初の展示以来、銭谷さんの作品は毎年「ル・サロン」で展示されているそうだ。阿波おどりは和服を着た女性が踊っている。
日本の魅力ある風景だ。銭谷さんは半年かけて、展覧会の作品を描くそうだ。
こんな話もあった。
「ル・サロン」で飾られた絵について、「君の絵の女性は八頭身だ。日本人は八頭身もないだろ」と、フランス人に言われたことがあった。
ぼくらが銭谷さんからもらった絵ハガキの阿波おどりの女性は、確かに背が高くてすらっとしている。
そんな質問に対して銭谷さんは「ぼくの家族はみんな170センチ以上」と笑いながら返答するそうだ。
銭谷さんの娘はミス四国の代表でもあったらしい。娘さんの身長も170センチあるそうだ。
有名になるきっかけは、「一生懸命描き、継続してがんばること」、そして「ちょっとした付き合いを大切にすることだ」と、銭谷さんは最後に話していた。
銭谷さんと話しているうちに、ぼくらは答島(こたじま)の港に到着してしまった。
ほんの25分の車内での話だったが、銭谷さんの話は、「絵で生きていければなぁ」と一度考えたことがあったぼくにとって、印象深かった。
彼には人とのもともとネットワークがあったかもしれないが、そうだとしても「実力」がなければ成功しない。
そして、「貧乏」になっても、継続して「描く」という好きなことをやり続け、「成功」の道に進もうとしてきたことが、純粋にすごいと感じた。
【徳島県 伊島(いしま)へ行く前に寄ったスーパー「セブン」答島へはJR阿波橘駅(あわたちばなえき)から徒歩5分】
定期船の出航まで1時間以上があったので、荷物を待合所に置いて、歩いて10分先にあるスーパー「セブン」で、淡麗生、お菓子などを購入して答島に戻った。
【徳島県 伊島までの定期船料金は1,000円】
【徳島県 伊島⇔答島(こたじま)の時刻表(2010年12月現在)】
【徳島県 伊島でのアオリイカ(水イカ)釣りに関する注意事項 9月30日まで禁漁】
答島へは、JR阿波橘駅(あわたちばなえき)から徒歩5分で行ける。徳島駅から阿波橘駅までは、JR牟岐線(むぎせん)で約1時間。
さて、これから伊島へと向かう…(続きはこちら)
<前回のストーリー 『day 45 徳島県 小松島の公園での『グラウンドゴルフ』と『画家っぽい』おじさん』>
<次回のストーリー 『day 45.2 徳島県 四国本土最東端の『伊島(いしま)』へ』>
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