2010年11月13日(土) – ぼくら田舎バックパッカー夫婦は伊吹島(いぶきじま)(香川県)で、豊浦藤代(とようら ふじよ)さんに大変お世話になった。
今日、藤代さんとお別れなのだが…伊吹島出発後、藤代さんとの“縁”を感じる『ありえない偶然』(次のストーリーで)が観音寺駅で起きる。
この日の朝、藤代さんの家で目覚めたぼくら夫婦。
藤代さんが作ってくれた、白と赤の合わせ味噌、イリコ出汁を使った味噌汁は本当に美味しく身体と心に染みた。
結花は、味噌汁が大好きなので、数杯お替りし、大絶賛!
ぼくらは、お昼過ぎの観音寺港行きの定期船に乗るために、荷物をバックパックに積めるなど、出発の準備を始めた。
伊吹島のお母さん
荷物をまとめていると、藤代さんが、いろいろと物をくれた。
ウェットティッシュ替わりに、赤ちゃんのお尻ふき、伊吹島名産のイリコ一袋(カタクチイワシ煮干し)をいただいた。
このイリコが最高に美味しいのだ!ぱりぱりとお菓子のように食べ続けられる。
【伊吹島のPRポスター 「伊吹いりこ」は、日本一じゃけん!】
ぼくが小学校のころ、おやつ代わりに煮干しをよく食べたが、その煮干しよりもはるかに美味い。食べ始めると、とまらなかった。
お米もいただけるとのことだったのだが、荷物が本当に重すぎたので、米は遠慮させていただいた。
藤代さんは「あら、断られちゃったわよ」と、居間で洗濯物を畳んでいた結花に話していた。
伊吹小中学校の先生たちも言っていたが、藤代さんは本当に面倒見がすごく良く、ぼくらにもすごく優しく親切に接してくれた。
ぼくらにとっては、「伊吹島のお母さん」という印象だった。
【香川県 伊吹島 懐かしさを感じるカップラーメンの自動販売機】
出発の準備が終わると、ぼくらは定期船出発まで、島を“うろうろ”した。
誰だか知らないが「金田一春彦の歌碑(かひ)」に行った。「金田一少年」と何か関係がある人なのだろうか…
【香川県 伊吹島 金田一春彦の歌碑 ん?金田一春彦さんって誰だ?】
伊吹島の定期船乗り場には、「いりこ酒」レシピの紙が貼られ、メモを取ったので、ざっと書いておこう。
簡単にできる。
いりこ酒のレシピ
1.大羽のイリコの頭と内臓を取り、イリコを網で焼く。
2.縁や尾びれが少し焦げるぐらいまで焼く。これで、イリコの香ばしさが増す。
3.焼いたイリコを湯飲み(おちょこ)に入れ、日本酒の熱燗を注ぐ。これが美味しいそうだ。家に戻ったらやってみるかな~。
【香川県 伊吹島 釣り人たちが、観音寺へと向かう定期船で家へと戻る】
【香川県 伊吹島 藤代さんは最後までぼくらを見送ってくれた】
島出発前に、藤代さんは、定期船乗り場まで送りに来てくれた。そして、お弁当まで用意してくれたのだ。
ぼくらは島を後にして、観音寺港に到着。港周辺の堤防で藤代さんからもらった弁当を食べた。
プラスチックの弁当箱が新聞紙で包まれていた。
【香川県 伊吹島 藤代さんからのメッセージ入りお弁当。このメッセージはシンプルだったけど、嬉しかった】
お弁当と割り箸が包んであった新聞には、黒いマジックで「お元気で。ガンバッテー。マタキテネ」と書いてあった。
シンプルなメッセージだったが、すごく嬉しかったし感動した。そして、港から100円の市内循環バスでJR観音寺駅へと戻った。
観音寺駅では、とんでもない偶然がぼくらを待ち受けていた…<続きはこちら>
<前回のストーリー 『day 26.9 香川県 伊吹島の藤代さん宅でのバックパッカー“民泊”』>
<次回のストーリー 『day 27.1 香川県 観音寺駅での『とんでもない偶然』 ~バックパッカー夫婦と藤代さん家族との『縁』 その2~』>
【香川県 伊吹島 (藤代さん真ん中)とぼくら田舎バックパッカーの記念撮影】
ぼくがバックパッカー、バンライフ、田舎暮らしを始めた理由 ● 田舎へのバックパッカー旅の背景『ぼくの人生 これでいいのか』の自問自答 満員電車から始まる毎日からどこへ? ~ 鎌倉、会社勤務から出た理由 ~ |
【お知らせ】『田舎バックパッカーハウス』をオープン!日本初の“住める駐車場” 能登半島にある小さな田舎町<石川県穴水町川尻>にシェアハウスとオフィス、コワーキングスペース、そして、住める駐車場・長期間滞在可能な車中泊スポット「バンライフ・ステーション」も! |
【お知らせ】牡蠣<かき>販売のサポート開始! 水揚げ直後の牡蠣<かき>があなたの手元に最速翌日届く!能登半島の“奥” 石川県穴水町岩車の牡蠣<かき>を購入!鮮度抜群なので、牡蠣ならではの臭みなし!ぜひぜひ、ご注文くださいね!^^ |
この記事へのコメントはありません。